2015年02月09日11時39分

ビジョナリーな人たち 青木 勝 (株)山古志アルパカ村 代表取締役



青木 勝 (株)山古志アルパカ村 代表取締役



青木勝(あおき まさる)
1950年山古志村生まれ。高校を卒業後、上京し、厚労省で働きながら夜学に通う。1974年に帰郷し、山古志村役場採用。中山間地・過疎対策を主に担当する。2003年、手掘りの「中山隧道」保存のために隧道文化基金を創設し、事務局長として映画「掘るまいか」制作に携わる。2004年、中越地震発生時には、企画課長として震災対策にあたる。2007年、長岡市山古志支所長になり、2010年に定年退職。2011年、(株)山古志アルパカ村設立。



役所務めで学んだ総合政策
新潟中越地震を乗り越えた経験を
第二の人生に活かす


2004年に起きた新潟県中越地震。山古志村(現・長岡市山古志地区)は、すべての道路が寸断され、村民は全村避難を余儀なくされた。当時、日本全国の人たちは、ヘリコプターに吊られて避難する牛の姿を目にしたことだろう。そして復興が始まったとき、戻った村民たちを待っていたのはアルパカだった。復興に向けた陣頭指揮を取った山古志支所長、青木勝さんは、役所を退職するとアルパカ村の村長となる。その立場は、単なる牧場主ではない。目指すのは地域の暮らしを支え、命をつなぐことである。「アルパカは人が来てくれるためのゲート機能になればいい」という青木さんの、第二の人生を聞いた。


アルパカって何だ?と
村の人々は思った


 2009年11月、アルパカが山古志にやってきた。2004年に新潟県中越地震によって孤立した、「山古志村」の人々を励まそうと、コロラド州の「グリーンドッグアルパカランチ」のオーナーから送られたのだ。

「アルパカの靴下は、水に濡れても足が冷たくならない。登山をする人には最適なんです」と話すのは、(株)山古志アルパカ村の代表取締役、青木勝さんである。

 そもそもの青木さんは、アルパカの専門家でもなければ畜産業を営んでいた人でもない。中越地震のそのとき、当時の山古志村役場の企画課長として、村民の全村避難に奔走していたのだ。

 「当時はまだ、アルパカのテレビCMデビュー前です。山古志の復興のために寄贈すると言われても、『アルパカって何だ?』という状態です。何しろ全村避難している最中ですから、みんなが村に帰るまでは、アメリカで保管してもらわなければなりませんでした。それが2006年から2007年。2009年にアルパカがやってきたとき、私は山古志の復興支援室から山古志の支所長になっていました。

 そのときに思ったんです。アルパカを行政に任せておいたら、どこかの動物園に送られて、誰々から寄贈されましたという看板をつけて終わりだろうと。でもアルパカは、復興支援のために寄贈されてきたわけですから、山古志の活性化につなげていかなければもったいないと」

 そのときから、青木さんのアルパカを巡る奮闘が始まったのだ。





山古志地域全体を
アルパカ村に


 青木さんの役所務めが始まったのは昭和49年。以来、教育委員会、税務課、産業課で農林関係の仕事、土木、農地栽培と、さまざまな分野で仕事をしてきた。「まさに総合政策を学びました」と言う青木さんの頭は、それまでの経験を総動員して、アルパカを活用しながら山古志の人々がどのように生きるかを模索した。

 まず、協力を仰いだのは畜産関係である。

 「私は畜産関係の仕事もしていたので、獣医さんをはじめとする関係者に知り合いがいました。そこでアルパカの飼育について相談したところ、最初の問題は日本の気候でした。アルパカはコロラドの高地の乾燥地帯で暮らす動物です。それが日本のように湿気の多い夏を越せるかどうかが問題でした。そこで1年間飼育する中で、毛をきちんと刈って、体温調節ができるようにしてやればいいことがわかりました。

 次は牧場です。そもそも山古志には、古くから牛の角突きの伝統があります。つまり、牛を育てる設備とノウハウは十分にあるということです。そこで集落ごとに牧場を運営して、常にアルパカが人間と一緒に暮らせる仕組みを考えたんです。何百頭も一緒にしていては管理できないし、だんだんと野生化してしまいますから、一つの牧場には20頭くらいの規模です」

 最初にアルパカの管理を任せたのは、青木さんの生まれ育った油夫(ゆぶ)集落だった。中越地震前、油夫には21世帯が暮らしていた。震災後に集落に戻ってきたのは9世帯。ほとんどが高齢者世帯である。しかしそのとき、集落の全員がひとつになって「アルパカ組合」を組織し、ゆくゆくは山古志全体を「アルパカ村」にすることを目指して稼働しはじめたのだ。

 「アルパカをどこで飼うかを検討したとき、中越地震の被害が一番大きいところを選びました。なぜならそういう地域ならば、年寄りばかりでこれからどうしたらいいのかという危機感が強く、一番まとまりがあると思ったからです。

 中越地震によって全村避難をしたとき、私たちは『村へ帰ろう』を合言葉に復興事業を行ってきました。でも、山の暮らしを再生するためには、住宅を作るだけでなく、『生業』も再生させなければなりません。

 そこで油夫集落のおじちゃんたちは順番にアルパカ牧場の管理をして、おばちゃんたちは自分たちの畑で採れた野菜や蕎麦を販売する。集落全体が、入場料を取らないアルパカ牧場となって、お客さんを受け入れる。そこに経済活動もある。つまり、アルパカは山古志に人が来てもらうためのゲート機能を果たしているのです」


アルパカが紡ぐ
地域の安全で豊かな暮らし


 「アルパカ組合」としてスタートしたこの組織は、2011年に株式会社となった。

 その理由は、アルパカ事業が単なる牧場作りではなく、そこに暮らす人々の生活を支え、その生活を次の世代につなげていくための事業として発展させなければならないからだ。

 「営業活動を行おうとするとき、NPO法人や第三セクターという方法もあります。しかし残念ながら、そのような組織では最終的に責任を取る人や意思決定をする人がいません。そのような組織で生き物を飼うのは無理だと思ったんです。そこで誰かが即断即決で結論を出したり、責任を取る体勢を整えることを考えて株式会社にしました」

 役所を退職した青木さんが代表取締役を務める株式会社山古志アルパカ村は、資本金500万円。出資者は「私の趣旨に賛同して、金は出すけれど口を出さない」というのが条件だった。

 「つまり、私の口車に乗せられた人たちかな(笑)。5年間配当はないというのも条件ですね。株式会社はワンマンでやるのが当たり前ですが、出資した額の分だけは責任を取るものだと思っていますから、過半数は自分で出資しました」

 アルパカ事業の三本柱は、販売、動物の貸し付け、展示である。「販売」として、アルパカの毛で作ったニット製品やグッズがあるが、アルパカの堆肥を使った「アルパカ米」も販売を始めた。

 きちんとした個体管理をするために、オスとメスは完全に分けて近親交配しない体勢を作り、生まれた子どもはすべて、コロラド州のアルパカ牧場とタイアップしながら登録証を作成する。従業員は現在2人。「この子たちは1、2年もすれば、アルパカのスペシャリストになる」と、青木さんは期待を込める。

 「我々がこれからやらなければならないのは、今、山古志にいる人たちが全員亡くなったとしても、そのあとにここで人が生活して活動できる仕組みを作ることなんです。人が豊かに安全に暮らして、幸せに死んでいく環境を、本当は日本全体で作らなければならないと思うんです。今、山古志でアルパカを管理している人たちは、やがて寿命を迎えます。そのあとで都会から人がやってきて、山の暮らしに関わりながら、地域を維持する仕組みを創りたい。その一つがアルパカなんです」

 遡ること30年前、すでに山古志村は過疎化問題を抱えていた。役所務めの若き青木さんは、上司に言った。「いくら対策を考えても、ここに生まれ育った人たちは、ここで暮らしてここで死んでいくのが当たり前。過疎化が大変だと言っても実感がないから、いったん住民を全員、村の外に出してみてはどうか?白地に絵を描くような計画を立てないと何も進まない」と。

 そして10年前に起きた中越地震によって、はからずも村人全員が村の外に出た。今、山古志で暮らす人は、「それでも山古志に戻って暮らしたい」という選択をした人々だという。

 「だからこそ、地域の活性化に対する意識は強固です。俺たちに何が必要なのか、自分たちなりの発想を生むこともできるんです」

 そう語る青木さんの視線の先には、今、地域のために走り回る若者がいた。

 青木さんは呟く。

 「被災したとき、俺の下で動いて、すべて見ていてくれた小僧っ子。彼ならきっとやってくれる。」

 山古志に逞しく根付いた種は、新緑を芽吹かせはじめたようだ。


木村の視点


 どこかで読んだ本によると、新しいことにチャレンジし続ける人は、「脳軟化症」ではなく「のう、なんかしょう!」というらしい。青木勝さんも間違いなくその一人である。定年したあと、やはり自らがそれまでやってきた過疎対策を実践していく必要があるだろうということで、(株)山古志アルパカ村の社長職に就いたのだが、目的とするところは、生業を作り地域コミュニティや絆を再生させることにある。荒れた空き地に一人の少女がスプーンで穴を掘り植えた豆が、やがて広い菜園にまで広がっていくというポール・フライシュマンの「種をまく人」のように、青木さんの故郷にかける熱い思いが叶う日が来ることを祈る。漢名・「羊駱駝」の通り、羊とも駱駝ともつかぬアルパカの頭を撫でながら後継指名された逞しい若者のいる方を見やった。


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