2015年02月09日11時40分

にっぽん日和 新潟県 長岡市

山古志(やまこし)
地域では、約200 年前から、
人工交配を重ねて鯉を観賞用の錦鯉
へと育ててきました。白い地肌に
緋斑と黒斑がのった「三色」、通称
「さんけ」は錦鯉のサラブレッド。
華麗な姿は世界中の人を魅了します。



カメラ/渡邊春信 ライター/岩熊純子 デザイン/北川原由貴 プロダクションマネージャー/池田大作 スペシャルサンクス/長岡市



伝統を、文化を、暮らしを
山古志の心を守り、つなぐ人々


丘陵地に広がる美しい棚田、錦鯉の養殖、牛の角突き。
山古志には日本のふるさとの風景があります。


新潟県中越地震
あの日から10年を振り返る


 奉納相撲の声が聞こえる種苧原(たねすはら)、その昔、油が採れたという油夫(ゆぶ)、多くの写真家を魅了する風景のある虫亀(むしがめ)、村人たちがツルハシ1本で中山隧道を掘りあげた小松倉(こまつくら)……。山古志地域には、正統派にっぽんの故郷とも言うべき風景があります。そんな「ふるさと」に激震が走ったのは平成16年10月23日。新潟県中越

地震は、山古志の人々の日常を引き裂きました。やまこし復興交流館「おらたる」では、震災時の様子や山古志の暮らしを伝えています。

 廊下には、山古志村(当時)の写真がはめ込まれています。案内してくれた地域振興課の平澤東係長は、「この写真、踏めないんです。自分の伝統を、文化を、暮らしを山古志の心を守り、つなぐ人々生まれ育ったところだから」と言いながら、廊下の端っこを歩きます。「地形模型シアター」では、かつて箱庭にたとえられたこの土地の特性をプロジェクションマッピングで紹介します。「仮設集会所の再現」スペースでは、全村避難を強いられた人々の暮らしに思いを馳せ、未来の防災、安全、そして被災地への支援のあり方を考えさせられます。震災時を伝える写真の数々には、村の人々の言葉が添えられています。中にはひび割れた道路に、布団を敷いてヘリを待つ風景も。季節は秋、雪降る前でよかったと思わずにはいられません。

 あれから10年。山古志の人々は、1日たりとも山の暮らしを諦めることはありませんでした。一歩一歩進んできた復興の歩みは、今も止まることなく続いています。




やまこし復興交流館 おらたる

長岡市山古志竹沢甲2835
長岡市山古志支所 地域振興課
係長 平澤東さん(右)

長岡市市長政策室 政策企画課
課長補佐 齋藤真紀さん(左)




鯉に恋する 三代目松之助



 棚田の多い山古志には、雪解け水をぬるませるための溜池が数多くあります。その池で、食用の鯉を育てたのが養鯉のはじまりです。錦鯉の品種である「大正三色(たいしょうさんけ)」において、高い評価を得る山松養鯉場の屋号は松之助。「松之助といえば大正三色」と言われて、世界中から注目されています。三代目の酒井俊彰さんは「この仕事の醍醐味は、錦鯉に惚れた人たちとの出会い。お金じゃないんだ」と語ってくれました。


山松養鯉場(松之助)長岡市山古志虫亀569



復興の象徴となった「牛の角突き」



 山古志の人々は古くは牛を使って田畑を耕し、牛と共に生きてきました。伝統の「牛の角突き」は、家族でもある牛を傷つけないために、勝負をつけないのがルールです。中越地震のとき、村人たちは牛を必死で救助し、震災後の「牛の角突き」の復活は、復興への希望の象徴となりました。現在、地域の牛をまとめて世話するのは、畜産業を営む松井富栄さん。一緒に散歩するのは、震災を生き延びた牛の龍馬(13歳)です。


山古志闘牛場 長岡市山古志南平乙1626-10




アルパカ牧場が産み出すものたち



 中越地震で被災した村人たちを励まそうと、米コロラド州からアルパカ3頭がやってきました。今ではアルパカニットや、堆肥で作った米を生産できるほど頭数が増え、油夫と種苧原に2つの牧場が営まれています。アルパカニットは現在、セーターやマフラー、帽子などの6点を試作。毛糸には山古志で育った血統書付きのアルパカの名前がつけられています。


油夫牧場 長岡市山古志竹沢乙169(冬季閉鎖)



常在戦場、互尊独尊の精神で
困難を乗り越えてきた長岡の人々


常に戦場にいる心構えで事をなし、自らを尊び、互いを尊ぶ精神が根付く長岡。
まちにその息遣いを感じます。


越後長岡藩の風雲児に学ぶ



 河井継之助の生家跡に開館している記念館。展示されたガトリング砲の複製には、ここを訪れる小学生たちが目を輝かせ、仕組みの説明に聞き入るそうです。パンフレットには「運命の負に甘受し、最期は武士であろうとした河井継之助に共鳴するなら、河井継之助記念館においでください」とあります。


河井継之助記念館
長岡市長町1 丁目甲1675-1
館長 稲川明雄さん




藩主の病を癒した「越乃雪」



 「越乃雪」は長岡藩九代目藩主、牧野忠精公が病に伏したとき、近臣が憂い、大和屋庄左衛門に相談して誕生したお菓子です。筆書きの注文書に、江戸時代からの老舗の重みを感じます。
10 代目店主 岸洋助さんと範子さん。


越乃雪本舗大和屋
長岡市柳原町3-3



 長岡市は新潟県の中央に位置する人口28万人の都市です。幕末には戊辰戦争、そして昭和20年夏のすさまじい長岡空襲など、中越地震からの復興より以前にも、人々が知恵を絞り、ひとつになって復興を遂げてきた歴史と文化が残されています。

 時代が大きく動いたとき、河井継之助という革命児が誕生しました。わずか7万四4000石の長岡藩から中央政府を見つめ、近代国家を見据えた改革を行った河井継之助(かわいつぎのすけ)の足跡は、「河井継之助記念館」で見ることができます。

 館長の稲川明雄さんは語ります。

 「河井を見に来る人は、人生に悩む人が多いようです。何をしに来るかというと、河井継之助の空気をここで吸って、元気になるために来るんだね。河井率いる長岡藩士が実戦で

使用したガトリング砲を見てごらんなさい。多くの人がオランダ語を学んでいた幕末に、英語の説明書を見ながら組み立てたという記録があります。すごいでしょう?」

 そして太平洋戦争の開戦に反対しながら、その意に反して連合艦隊司令長官となった山本五十六(やまもといそろく)もまた、長岡藩の気風を体現した人物です。

 山本五十六が好んだという「飴もなか」を製造する長命堂飴舗。この店も、長岡空襲で菓子道具も自宅もすべて消失しました。三代目の野本謙司さんは83歳。山本五十六に関する資料を大切そうに広げて昔話を語ります。

 「今でも五十六さんのご親族からご注文をいただきます。『例のをくれ』とおっしゃるんですよ」

 また、「米百俵の精神」で藩制を建てなおした小林虎三郎が、師匠に贈ったというお菓子に、大和屋の「越乃雪」があります。越後の餅米と和三盆糖で仕上げた上品な「越乃雪」

は、金沢森八の長生殿、松江風流堂の山川と並ぶ、日本三大銘菓のひとつに数えられています。


米百俵の群像



 北越戦争で敗れ、窮状に陥った長岡藩。他藩から援助された百俵の米を「百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育に充てれば明日の一万、百万俵となる」として、百俵の米を「国漢学校」の新校舎開校資金に充てた小林虎三郎。その逸話は、戯曲「米百俵」として歌舞伎座で上演されました。千秋が原ふるさとの森には戯曲の一場面が再現されています。


米百俵の群像
長岡市寺島町315




山本五十六も好んだ
ほんのり甘い 飴もなか




 明治30年代に行灯やランプの灯油などを販売していた長命堂が、電化が進む時代を迎え、飴菓子の製造販売をはじめたのは大正元年。創業103年を迎えて三代目 野本謙司さん(右)、四代目 圭一さん(左)、五代目 省吾さん(中央)が勢揃いしました。



郷土を愛した山本五十六を偲ぶ



 山本五十六は長岡市坂之上3丁目に高野五十六として生まれました。実際の生家は空襲で焼け、現在は「山本記念公園」の中に、復元された建物があります。命日の4月18日には法要が行われ、全国の旧海軍関係者が訪れます。記念館にはブーゲンビル島戦死時の搭乗機の左翼や、軍艦大和・長門からの書簡など、貴重な資料が展示されています。


山本五十六記念館 
長岡市呉服町1-4-1






まちの人々が愛する
食、銘菓、憩いの空間


かつて長岡城本丸があったJR長岡駅周辺が、市の中心部。そこには逞しく日々を生きる、市井の人々の姿があります。

元祖「柿の種」は長岡市発



 日本人のビールの友である柿の種は、米どころならではの米菓です。創業者の今井與三郎(いまいよさぶろう)が大正末期に元祖「柿の種」を作ったのは浪花屋。その名は「大阪のあられ作りを採り入れたから」と、代表取締役の穂苅忠志さん。最初は小判型でしたが、ある日その金型をうっかり踏み潰してしまい、そのまま使用して出来上がったのが、現在の「柿の種」型だそうです。きなこ、カフェオレ・ホワイトチョコがけなど、限定柿の種は長岡市で。


元祖 柿の種 浪花屋製菓
長岡市摂田屋町2680




長岡のソウルフード 洋風カツ丼



 長岡市のカツ丼は、昭和6年創業の洋食屋さん「小松パーラー」が発祥です。そのレシピを受け継いだのが「松キッチン」です。「子どもの頃、友だちの家で、小松パーラーの洋風カツ丼を出前でとってくれた思い出があります。思い出の味を再現したのがウチのカツ丼です」とマネージャーの山本竜司さん。県産の豚ロースを一口サイズにカットして、甘酸っぱい“ ファミリーソース” で召し上がれ。


洋食 松キッチン
長岡市城内町3-5-1 レーベン長岡1F




40周年を迎えたJAZZ喫茶



 佐渡に生まれ、東京のホテルに勤務したのちに長岡に戻り、喫茶店をオープンしたという店主、平本哲治さん。「ジャズと出合ったのは先輩に連れていってもらったJAZZ喫茶。ビル・エバンスが好きになりましてね。何かあると『Waltz for Debby』をかけるんです」。昼間はランチメニューもありますが、夜はコアなJAZZ好きも集まって、平本さんと音楽談義をすることも。2カ月に1回はアコースティックライブも行われます。


喫茶 郭公
長岡市東坂之上町2-3-1 磯部ビル2F




新潟市でみつけた!
心遣いに舌鼓
海の幸たっぷり 五郎めし




 山古志の牧歌的な風景から新潟のまちなかへ。そこで出合ったのは漁師さんから直接仕入れた海の幸をたっぷりと味わえる「五郎」でした。

 取材班が「美味しい!」とため息をついた「五郎めし」には、鱈子、筋子、焼鮭、納豆、梅わさび、塩辛……など10種類の具がのっています。「ご飯は出汁で炊いて、バターで風味付けしてあります。豪快にかき混ぜて食べてください」と、スタッフの神戸洋さん。料理やお酒について、給仕しながらさりげなく教えてくれるサービスは、大人の居酒屋と言えます。

 「新潟の新鮮な地物を提供しているので、魚はその日によっていろいろ変化があります」と、板長の山岸靖行さん。

 実は地元の方に教えていただいたこのお店。間違いはありませんでした。




写真上/おまかせ盛り
さば浅シメあぶり、のどぐろあぶり、あじ、南蛮海老、アオリイカ、メジマグロ、バイ貝、そしてこの日のメインは佐渡の寒ブリでした。
写真中/女ガニの甲羅詰め
美味しいところを丁寧に取り出して、食べやすくした甲羅盛り。雌蟹ゆえの昆布出汁卵付きです。


五郎 万代店
新潟市中央区東大通2-3-15-2F



ピックアップ

メルマガ登録・解除
元吉本興業常務・木村政雄編集長メルマガ「ファイブエル(5L)」
木村政雄編集長が著名人のホンネに迫る「スペシャル対談」、地域特集「にっぽん日和」・室井佑月「連載コラム」など、大人のためのエンターテイメント情報をお届けします。

詳細ページへ

powered by まぐまぐ! まぐまぐ!

新着画像

アクセスランキング

カテゴリー

y[W̐擪