2015年02月09日11時43分

失敗ばかりの僕が、気象予報士になった理由 天達 武史

失敗ばかりの僕が、
気象予報士になった理由



「アマタツっ!」。フジテレビの『とくダネ!』で、
スタジオの小倉智昭キャスターの甲高い声に応えて、
画面は気象予報士の天達武史の笑顔に切り替わる。
雪の日も風の日も、変わらない朝の“お約束”だ。
フリーター生活は9年にも及んだという。
こつこつと努力を重ねてきた人の穏やかな言葉に、
人々は癒され、新しい一日をスタートするのだ。
心が曇りそうになったら、さあ、呼んでみよう。
「アマタツー!」と……。






木村政雄編集長スペシャルインタビュー
気象予報士 天達武史



木村☆毎朝NHKの朝七時のニュースを視て、八時からは『とくダネ!』(フジテレビ)を視て、天達さんの出番が終わってから出勤しています。きょうはどんな服装かな、などと楽しみにして……。でも毎日だと、服装のアレンジも大変ですね。スタイリストさんは付いていらっしゃるんですか?

天達☆スタジオ収録のときには付くんですが、外で出演するときは私服です。最初の頃は服も毎日替えなきゃと頑張っていたんですが、次第に僕は気象予報士だから、そんなにおしゃれをする必要もないと思うようになりました。今では視聴者の方が朝、僕をご覧になったときに、きょうはこんな感じで出掛けていいんだなと、分かるような服装にすることをポイントに選んでいます。

木村☆いつも外(フジテレビの本社社屋前)で天気予報をおやりになっているのは天達さんのポリシーなんですか。

天達☆いえ、番組が始まったときからのコンセプトですね。外でやって、雨、風、雪、日差しなど、その日のリアルな空気感を視聴者の方に伝えようというわけです。

木村☆キャスターの小倉智昭さんがスタジオから呼びかける「アマタツー!」という一声で、全国に名前と顔が知られるようになって、いままでなら何気なくできたことができなくなったとかいうことがあるんじゃないですか。例えば、お店で値切ったり……(笑)。

天達☆テレビに出るということは本当に責任が重いですから、プライベートもなるたけ自重するように心掛けています。朝が早いのでタクシーで放送局に行くんですけど、帰宅する時は電車なんですよ。でもあまり声を掛けられたりすることはないですね。通勤する方って、時間的に『とくダネ!』を視られてないんじゃないでしょうか。たまに週末に家族で買い物に行ったりすると、「アマタツー」なんて声を掛けられたりはしますけど(笑)。

木村☆そういう人生って、一〇代、二〇代の頃に想像できましたか?

天達☆いえ、まったく、思ってもみませんでした。むしろ自分にいちばんふさわしくない人生のようで、いまでも信じられないですね。

木村☆控えめにおっしゃいますが、一〇年前から毎年おこなわれているORICON STYLEのリサーチによれば『好きなお天気キャスター/気象予報士ランキング』で、二〇一四年を含め一〇回中、四回も一位を獲得されています。名実ともに人気ナンバーワンお天気キャスターとなられたわけですから、本当にすごいことだと思いますよ。

天達☆ありがたいお話ですが、僕には何が一位なのか分からないんですよ。たまに、この道で何十年も活躍していらっしゃる大先輩であり、パイオニアでもある、お天気キャスターの森田正光さんや木原実さんらとお会いする機会があるんですが、お二方とも本当に知識が豊富で、分かりやすくお話しになります。視野が広く、気象についてこんなにも楽しく、深く、有意義なことが言えるんだと、いつも驚かされます。気象を語るキャスターとしての立ち居振る舞いや生き方、僕もいつか、ああいうふうになりたいなと研鑽中の身で、まだまだ及びもつかないです。
木村☆やはり、人気を呼ぶ秘密は、そういう控えめで実直なお人柄なんでしょうね。知識は勉強すれば身に付きますが、人柄は生来のものでしょうから。天達さんの場合は『とくダネ!』の中の八時台と九時台の二回、合わせて三分ほどのお天気解説の中に、親しみやすさとかお人柄の誠実さがあふれています。分かりやすい気象の解説と、そのほんわかとした笑顔に癒されていらっしゃる方が多いんじゃないでしょうか。

天達☆お褒めいただいて恐縮です。『とくダネ!』に入ってちょうど一〇年になるんですが、つくづく視聴者の方々の我慢と応援に支えられてきたのを感じています。




「とくダネ!」の放送終了後。フジテレビ本社前にて



成功体験ゼロ、年収二〇〇万円の
フリーター生活から抜け出すために


木村☆さきほど、「二〇代の頃には思ってもみなかった人生」とおっしゃいましたが、プロフィールを拝見しますと、二〇代の頃は専らアルバイトばかりの人生だったんですよね。そこからナンバーワンお天気キャスターになられたきっかけをお聞きしたいと思います。

 ご出身は横須賀で、中学・高校と野球部に所属をされていたそうですね。神奈川県は高校野球の強豪校が多く全国有数の激戦区といわれますから、勝ち上がるのはなかなか大変だったと思いますが、どのあたりまで行かれたんですか?

天達☆一応、県大会でベスト一六まで行きました。

木村☆それはすごい。で、天達さんはそんな中、どんな選手だったんですか。

天達☆レギュラーと補欠の間くらいで、レギュラー選手が怪我をして出られないときに出るくらいです。いま考えると、もうちょっと一生懸命やっておけばよかったという後悔のほうが大きいですね。高校生の頃って、友達と遊びたいですから、練習はできるだけサボったほうかも知れません。

木村☆そのあとはどうされたんですか?

天達☆とりあえず大学には行きたかったんですが、勉強を全然していなくて、浪人しないととても無理でした。でも当時、付き合っていた彼女と遊びたかったので、デザイン関係の専門学校に入りました。そりゃ、どうしても大学に行きたければ浪人してでも行こうとしたんでしょうけど、そういう情熱もなかったんでしょうね。絵を習ったことはなかったんですが、似顔絵を描くのが好きで……。だけどそれだけでグラフィックデザイナーやイラストレーターになろうなんて、いまから思えば浅はかな考えでした(笑)。学費は親に甘えていましたが、遊ぶお金も必要なので、秋頃から友達と一緒にファミリーレストランでアルバイトを始めたんですが、やりたいことが見つかるまでと思っているうちに九年も経ってしまいました。

木村☆でも九年もいると結構大変な仕事を任されるようになるんでしょ?

天達☆ファミレスって正社員が三人ぐらいで、あとはバイトやパートさんというのが多いんです。ですから古株のバイトにも重要な仕事が下りてきます。もちろん仕事は楽しかったんですが、時給八〇〇円、年収二〇〇万円の不安定なフリーター生活。デートも割り勘の恥ずかしい奴で(笑)。

木村☆そりゃ、大変だったでしょう。それがまたどうして気象予報士を目指そうと思われたんですか。

天達☆はい。お店が、葉山の海岸のそばで、雨が降れば半分、晴れれば三倍というふうに天気がいいときと悪いときで、お客さんの数が何倍も違うんです。仕入れを担当するようになって、毎日天気予報を見ながら、二日先、三日先の食材を仕入れるんですが、これが結構予報が外れたりするんですよ。だったら自分で気象予報士になれば、仕入れの失敗を減らせるじゃないかと思ったのがひとつ。もうひとつはフリーターを続けていて、心のどこかに劣等感のようなものがあったんです。周囲の同級生はみんな就職して外へ羽ばたいていくのに、自分ひとりだけが不安定なアルバイトに取り残されたようで……。彼らに追いつくには、何か特殊なことをやらないといけないのではないかと思ったんです。そう決意した翌日の新聞に、たまたま気象予報士講座の広告が出ていて、それならちょっと行ってみようかなと軽い気持ちでチャレンジしてみたんです。

木村☆気象予報士って、一九九四年度に新しく導入された制度で、気象庁から提供される高度なデータを読み解く専門家だから、試験も当然難しかったでしょう?

天達☆はい。学生の頃はホント勉強してこなかったですから難しかったですね。得意だったのは体育と美術だけで、最初の頃は参考書を見ても、問題を解くというより、何が求められているのかさえ分かりませんでした。学校の勉強は何もかも忘れていて、小学四年の算数の割り算の小数点の位置とか、そのあたりまで戻って勉強を始めたんです。

木村☆よく、途中で諦めなかったですね。

天達☆もう、半年分の受講料三〇万円を払ってしまっていましたし、いままで成功体験がひとつもなかった自分も、もしこれに受かったら、何とか道が開けるんじゃないかという、期待もあったんです。野球をやっていても、中・高とも試合最後のバッターになったこともあったし、チャンスで打てなかったんです。そういうことの繰り返しだったので、何とかここらで自分を変えたいという思いが強くありました。

木村☆だけど、不合格も一、二回ならともかく、五回目、六回目ともなると、相当なプレッシャーがかかってくるでしょう?

天達☆確かにそれはありましたね。三回目、四回目はまったく手応えがなかったので、このままもう一生受からないんじゃないかと諦めかけたこともありました。

木村☆気象予報士の試験って合格率はどのくらいなんですか?

天達☆試験は年二回あって、学科と実技があるんですが、両方受かる人が、僕が受けた頃は四%ぐらいでしたかね。

木村☆ひぇーっ、たった四%って、すごい狭き門じゃないですか。最近は、テレビ局のアナウンサーやタレントさんが受けることもあるそうですね。

天達☆はい、そういう方もいらっしゃいます。気象予報士試験は確かに難しいのですが、マニアックに勉強するより、広く浅く知識があるほうが受かるようです。地学、化学、数学、物理など、高校生ぐらいの知識でできますし、しっかりポイントを捉えて、文章を書く力も求められます。


挑戦七回、愛妻のアドバイスと
「アマタツー!」で動き始めた人生



木村☆合格の影には、奥さまのご尽力も大きかったとか。

天達☆まさに、そのとおりで、彼女がいないと受からなかったと思います。いま思うと、運命の巡り合わせだったんでしょうね。二五歳くらいのときにアルバイト先で知り合ったのですが、年齢も同じで仲良くなったんです。確か挑戦五回目ぐらいのときだったと思いますが、それまで休みの日に十数時間まとめて勉強してたんですが全然成績が上がらないので、理系の大学を出た彼女に勉強の仕方を聞いてみたんです。そうしたら彼女が「週末まとめて勉強するくらいなら、仕事に行く前の三〇分だけでも毎日勉強したほうが力が付く」とアドバイスをくれたんですね。それで仕事の前に毎日、図書館で一、二時間勉強することにしました。苦手な物理も、彼女が分かりやすく教えてくれました。すると三カ月ぐらい経った頃から点と点がつながって線になっていくような感じで、分からなかった問題がだんだん解けるようになってきたんです。そこからは、とんとん拍子に、はかどるようになりました。

木村☆七回目の試験を終えたあとの手応えは如何でしたか。

天達☆はい。試験の時間が余りましたからね。ただ、それまでに六回も落ちているので、合格通知が来るまではやっぱり不安でした。合格していちばん喜んでくれたのは父親でしたね。

木村☆口には出さなくても、やっぱりご心配されていたんでしょうね。合格されたときは何歳になられていたんですか?

天達☆二七歳でした。

木村☆だけど、資格を取ったからといって、すぐに仕事があるわけではないんでしょう?

天達☆そうなんです。資格取得までに四年もかかったので、僕の中では気象予報士の資格を取ることが人生の目的になってしまって、合格後半年ぐらいは、抜け殻みたいになって何もできませんでした。それから焦ってきて、あちこちに就職するための書類を送っても、まるでかすりもしない日々が続きました。そんなとき、たまたま日本気象協会の方から、現場で人が足りないから来てくれないかという話があったんです。すごいチャンスだったんですが、僕はパソコンがまったくできなくて、採用される自信がなかったので、周囲に相談すると皆から「せっかくのいい話なのに、辞退するなんて馬鹿じゃないか」と言われました。それで採用試験に臨んだわけですが、本当に人が足りなかったんでしょうね。無事合格しました。臆するところはあったんですが、入ってみると、みんな優しい人たちで、僕が天気予報の原稿を書くとき、まわりにみんなが集まってきて一生懸命手伝ってくれるんです。天気予報の勉強のほかにパソコンのブラインドタッチまで練習させてもらいました。

木村☆天達さんには、どこかほうっておけないところがあるんですよ(笑)。これも人徳の為せる業というものですよ。『とくダネ!』に出演されるようになったのはどういういきさつからなんですか?

天達☆気象協会に入って一年ぐらいの時に、オーディションがあったんです。「天達も一応履歴書を送ってみれば」と言われて、〝記念〟のつもりで送ったら、名前が珍しかったからか書類審査に通って、フジテレビでオーディションを受けることになりました。会場に行くと経験者の方も多くて、到底自分は無理だと思いましたが、逆に気負いが抜けて、よかったのかもしれません。番組のコンセプトは「主婦に分かりやすく伝える」ということでしたから、リラックスしてやろうと思いました。すると意外と和やかに話ができたんです。いままでの自分だったら、すごい上がり症で、うまくやろうと思えば思うほど失敗してきたのに……。

木村☆小倉さんの「アマタツー!」は、どうやって生まれたんですか?

天達☆初めて出演した日、何の打ち合わせもないまま本番になったその日に生まれました。僕はまさか、自分の名前がそんなふうに呼び捨てで呼ばれるとは思わなかったんですが、思えばあれがあったからこそ、いまの自分があるという気がします。小倉さんの「アマタツー!」は、毎回、トーンが微妙に違うんですよ。そんな小倉さんのお心遣いには大感謝で、足を向けては寝られませんね。

木村☆小倉さんが温かく天達さんをイジってらっしゃるのが面白いですよね、天達さんの一生懸命なところが引き出されて……。ところで、お天気キャスターの天達さんの一日っていったい何時から始まるんですか?

天達☆まず、朝は四時二〇分に起きて、着替え・歯磨きを済ませて、四時半にタクシーで家を出ます。五時半に局に着いてから一時間ぐらいで資料を整理して、何を伝えるかADさんと打ち合わせをします。それに毎日一分ぐらいの小ネタも披露をするので、その最終確認やフリップの準備をしてから本番を迎えるわけです。本番のあとは、ざっくりと五分ぐらいの反省会のあと、次の日の打ち合わせをして、何もなければ、ご飯を食べて帰ります。

木村☆手づくりの愛妻弁当ですね。

天達☆はい。帰宅は早くても午後四時ぐらいなんですが、ネタがなかなか決まらなかったり、取材があったりして、もう少し遅くなることもあります。平均すると夜七時か八時頃ですかね。

木村☆お休みになるのは?

天達☆お風呂に入り、ストレッチをして夕食をとってから結構くつろいでテレビを視たりしてから一時ぐらいに寝ます。睡眠時間は大体三時間半くらいですかね。

木村☆えっ、それで大丈夫なんですか。ナポレオン並みじゃないですか。

天達☆大丈夫です。昔は一〇時間ぐらい寝ないとダメだったんですが、小倉さんも寝ない方で「三時間半ぐらいで大丈夫だ」と言われ、自分もやってみると、大丈夫でした。毎日三時間半だと一週間いけます。逆に、平日に八時間寝たりするとかえって体調がおかしくなるんです。





異常気象時代の気象予報士の使命は
人々に分かりやすく伝えること



木村☆ご家族は、天達さんの放送をご覧になっているんですか?

天達☆最初の頃、妻は視てくれていたんですが、あるときから、まったく視なくなりました。上の子が二歳くらいの時、テレビで呼ばれるのをマネして僕を「アマタツー」と呼ぶ時期があったんです。その度に『おまえもアマタツだぞ』と言うと「私は違う」と怒っていたこともあったんですが、いま、子どもたちは裏番組のアンパンマンとか、アニメを視ています。

木村☆でも「天達」という苗字は珍しいから、子どもさんたちが通う学校や保育園ではバレているんじゃないですか?

天達☆顔がそっくりなので、すぐに分かると思います。僕が天気予報を毎日ハズしたりすると、子どもたちが学校でいじめられないかと心配で……(笑)。

木村☆あははは。そういうご心配もありますか。近年は異常気象、自然災害などが増えています。今後、ますます気象予報の役割は重要になってくると思いますが、天達さん、今後はどこを目指していかれるんでしょうか。

天達☆僕も今年は四〇歳になります。やはり、伝える仕事はずっとやっていきたいですね。これだけ異常気象が実際に起きるようになり、背景に地球温暖化があることが分かってきました。予報をハズさないことはもちろんですが、環境問題も含めてしっかりと地球のことが語れる気象予報士になりたいですね。

木村☆最近出版された『気象予報士 天達流・四季の暮らしと二十四節気の楽しみ方』など、面白く読ませていただきました。ご講演も多いとお聞きしています。

天達☆ありがとうございます。日本の四季や昔からの気象に関する知恵や言い伝えを次の世代に伝えていくことも気象予報士の使命。ああ、いくら勉強してもしきれませんね(笑)。

木村☆これからも更に活躍の場を広げて、ご活躍されますように期待をしています。本日は本当にありがとうございました。





天達 武史(あまたつ たけし)1975年、神奈川県横須賀市出身。気象予報士。神奈川県立津久井浜高等学校卒業。 中学・高校時代は野球部に所属。俊足で、高校2年時には代走の一番手としてベンチ入り。3年時には外野手でレギュラーを獲得。卒業後はグラフィックデザインの専門学校を経て9年間、ファミリーレストランの厨房でアルバイト。2002年、7回目の挑戦で気象予報士試験に合格する。2005年10月からフジテレビ『とくダネ! 』のお天気キャスターとして活躍中。フジテレビ本社社屋前で予報を行うが、スタジオのメイン司会者・小倉智昭氏が「アマタツー!」と呼び出すのが定番。2010~2012年と2014年の4回、ORICON STYLEの『好きなお天気キャスター/気象予報士ランキング』で1位を獲得。著書に『気象予報士 天達流 ・四季の暮らしと二十四節気の楽しみ方』など。一男一女の父。


対談後記


「各テレビ局のお天気姉さんに人気を奪われて、ヤン坊マー坊は居所がなくなった」。昨年三月、「ヤン坊マー坊天気予報」が五五年の歴史に幕を閉じた際につぶやかれた言葉である。なるほど、各局のニュースや情報ワイドショーを見ても、必須アイテムの気象予報にはチャンネルを変えずに見てもらえる為の工夫が凝らされている。美形のお天気キャスターの登用もその一つだろう。そんな中、並み居る女性陣を抑えてこの人が「好きなお天気キャスター/気象予報士ランキング」のトップだというのだから驚いた。だが、秘密はすぐに解けた。挫折にもめげず目標に対して一途に進む真摯さと、周囲への感謝を忘れない謙虚な人柄が、視ている人たちの共感を呼ぶのだろう。先の見えない霧が晴れ、目指すところが明らかになった天達さん。これからも持ち前の「控えめ力」を活かして、さらに活躍の場を広げていってほしいものだ。

ピックアップ

メルマガ登録・解除
元吉本興業常務・木村政雄編集長メルマガ「ファイブエル(5L)」
木村政雄編集長が著名人のホンネに迫る「スペシャル対談」、地域特集「にっぽん日和」・室井佑月「連載コラム」など、大人のためのエンターテイメント情報をお届けします。

詳細ページへ

powered by まぐまぐ! まぐまぐ!

新着画像

アクセスランキング

カテゴリー

y[W̐擪