2015年04月07日17時14分

ビジョナリーな人たち 古賀和裕 玄海活魚 代表取締役



古賀和裕 玄海活魚 代表取締役



古賀和裕(こがかずひろ)
1955 年、佐世保生まれ。14 歳で呼子に移り住み、福岡大学経済学部へ進学。
「途中でやりたいことができたので、2年だけ挑戦させて欲しいと中退しました」。
やりたいこととは音楽だった。玄海の創立は昭和44 年。
もともとは活魚卸売問屋であり、イカの活き造りを最初に提供したレストランも営業している。
古賀さんは36 歳で家業を継ぎ、50 歳で商工会会長に就任した。


呼子(よぶこ)に来てくれる人は、それぞれに目的がある
それを叶えてあげることが
特上の“おもてなし”である


 透明なイカがそのままの姿で皿に盛られている「イカの活き造り」。目はブルーにひかり、吸盤のついた脚は、くねくねと波打っている。「これにレモンを絞ったら、もっと動きますよ」と、玄海活魚の古賀和裕社長が言う。

 普段目にするイカの身は白いはず。こんなイカの姿は、水族館以外では初めて見たというのが第一印象である。ここ、呼子で本当の「活き造り」を安定供給するためには、古賀社長をはじめ、呼子の漁師たちの並々ならぬ努力があった。

 まずは流通形態の改革である。

 「もともと呼子の漁は一本釣り。タイやヒラメなど、その時期の魚を釣って、レストランで出していました。さらに遡れば、呼子はクジラ漁が盛んな場所で、漁師にとっては『漁は命をかけてやるもんだ』という意識が強かったです。しかも魚の値段はほとんど時価ですから、非常に高価なものだったんです。ところがイカなんて大物釣りの餌ですし、山ほどいるからそもそも値段のつくものではない。おまけに釣り上げると墨を吐くから、船が汚れる。漁師にとっては極力、やりたくない漁でした。『こんなの漁じゃない』というわけです」

 呼子のイカが注目されるようになると、安定した供給が必要になる。そこで古賀さんが考えたのは、「生きたままのイカであれば、漁師から直接、その日の市場の一番高い値段で買う」というシステムだ。「鮮魚」ではなく、

 「生きたままのイカ」であることがポイントである。従来の鮮魚流通の場合、漁師にとっては市場まで持っていく手間と、魚を並べる箱の代金、そして市場に出すための手数料と漁業組合に支払う経費が必要だった。だが店が漁師から直接買うということであれば、手間と費用を減らすことができるのだ。

 「いいイカであれば、市場の一番高い価格で買うということにすれば、漁師たちはイカをいい状態で持って来ようとしてくれます。その後、市場価格の数倍の固定単価での買取に変えた。さらにウチには専属の船が8隻いますが、必ずその船からイカを買うと決めれば、漁師も収入の予定が立つので、安心して漁ができるわけです」



イカの活き造りの安定供給のため
苦労と努力と工夫をした呼子の漁師


 次にやってきたのは、生きたままのイカをいい状態で運ぶための試行錯誤だった。

 「『あんたんとこから買ったイカは、次の日ボロボロやんかい。どういう獲り方しよっと?』と聞いて、解決策を考えるわけです」

 例えば、漁師が漁場に行くときには時速100kmで向かう。しかし、帰りも100kmで船を飛ばすと、イカが疲れてしまう。ならば帰りは時速40kmで帰るのが最適であると、経験値から知ったという。

 また、漁のときにイカをタモ網ですくうと、次の日に非常に状態が悪くなっていることに気づく。墨もたくさん吐いている。なぜかというと、タモ網ですくうと背骨が折れてしまうからだ。さらに36℃もある人の手でイカに触れると、肌がただれてしまうこともわかった。そこでイカをすくう道具は洗濯カゴということになった。結果、イカに直接触れるのは調理場のみ。漁をして船に入れる、生け簀に入れる、そして運んできたら洗濯カゴを使って厨房の生け簀に移すというように、最後までイカに直接触れないようにした。

 さらに夏場、イカ釣りの船は、50m もあるホースを積んで漁に行く。理由はイカの体調管理とでも言うべきか。海面の熱い水ではなく、イカがいるところの低い温度の水をホースで汲み上げて、船の中の水槽に入れるためなのだ。

 「こんなこと、数値的、科学的には誰も説明できんですよ。ただ、こうしたほうが良かったから、というだけ。呼子の漁師はよく考えて工夫するんです」

呼子地域全体を
イカのテーマパークにしよう


 玄海の先代が呼子で商売をはじめたのは昭和44年、佐世保で魚屋を営んでいた古賀さんの父が、「呼子の魚はいい」と判断したからだという。古賀和裕さんが家業を継いだのは36歳。39歳の頃、商工会の青年部で、自分の経営体験を発表したとき、気づいたことがあったという。

 「以前、北九州の商店街でイカを売ったことがあります。活魚トラックにイカを積んで行って販売していたら、おばちゃん軍団がやってきて、口々に言うんです。『わたし、この間、呼子にイカ食べに行ったとよ』と。つまり、『どこそこの店に行った』のではなく、『呼子に行った』というんです。

 それまで個店と地域は無関係だと思っていました。でもお客さまは「呼子にイカを食べに行く」と思っていらっしゃるわけです。個店単価の努力では、たかが知れている。それならばこの呼子をイカのテーマパークみたいなものにしよう。これからはこの地域に、どれだけの人を呼んで来られるかに力を注ぐ必要がある。その結果として、それぞれの店が地域から人を呼びこむ努力をするのだと思ったんです」

 ここから古賀さんの、地域活性化の取り組みがはじまる。40歳で呼子町の観光協会の専務理事となり、最初に取り組んだのは、行政や観光協会に寄せられたクレームの共有だった。

 「ミーティングのときに、寄せられたクレームを見せて言うわけです。『ほら見てみぃ。店で文句言うて帰らすひとはよかっと。ばってん、黙って帰ったひとが一番こわい。それがこれぞ』と。クレームは、どの店にも心当たりがあるはず、ウチじゃないと言える店は一軒もないはずです。

 それから悪天候が続いた時などに、イカが供給できるかどうかの情報も、呼子全体で共有しました。イカを出す店舗には、規模と設備に各々違いがありますから、ウチは予約分なら出せるとか、午前中は大丈夫というような情報を共有して、需要に対応できない場合は余裕がある店に行ってもらえるようにするんです。お客さんに、ウチにイカはないけれど、どこどこの店では食べられますよと教えてあげれば、きっと次は自分の店に来てくれます。

 イカの活き造りは、玄海が提供するのではなく、呼子という地域全体が提供しているというスタイルなんです」



「なりたか人は山ほどおるぞ」と
説得されて就任した商工会会長


 現在の古賀さんは、唐津上場商工会会長という役職と共に、「肥前名護屋城ツーリズム協議会」の会長も務めている。それまで歴史に興味がなくて名護屋城にも行ったことがなかったという古賀さんを奮い立たせたのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、全国から集った130 もの大名が築いた陣跡の躍動感あふれる歴史だった。

 「僕の偉いところは、ちょっと勉強するところ(笑)。会長に就任したときは、かなり歴史を勉強しましたよ。その上で、会長就任のとき、『地域に潤いを与えるとは何か? それはあんたたちの財布を潤すこと。僕はこれからそういう仕組を作る』と挨拶したんです」

 まずは移動する観光客がまちを見て「何だろう?」と思ってもらうため、まちの風景作りを地域ぐるみで行った。さらに歴史を巡るコースを作り、地域の人たちがガイドを務める。ガイドがボランティアでは経済が活性化しないので、少額であっても有料とした。

 「例えばイカを食べに来た観光客が、モノを買えば消費税を払う。酒を飲めば酒税を払う。車に乗ればガソリン税を払う。商売で儲かれば、事業税や法人税が増える、会社が給料を支払えば所得税が生まれるんです。

 今は観光事業に補助金や事業費を使っているけれど、財布が潤ったら税金で納めたらいい。補助金や事業費は、そのための投資なんですよ」

 古賀さんが商工会会長に就任したのは50歳、自身の事業はといえば、レストランの建て替えをしたばかりで「借金苦にあえいでいた」。しかも当時、4つの商工会が合併したばかりで、商工会の会長職には重責だ。しかも自分は地元生まれでもない。ためらいもあったのだが、会長職を受けたのは、尊敬する地元の先輩から言われた一言だったという。

 「『古賀、商工会の会長になりたか人は山ほどおるぞ。でもな、なってくれと言われる人間はそがんおらん。お前は今、地元の人から『なってくれ』と言われよっとに、断ったらなりたか人に失礼やなかか』と言われたんです。なるほどそうかと思いましたね」

 自身の事業と、地域の漁業のサポート、そして地域経済の活性化と、いくつものわらじを履く古賀社長。すべての事業について、あとからあとから新しい発想を生み出しては取り組んでいる。今年、還暦を迎えるとは思えないそのエネルギーは、玄海灘の豊かな海から湧いてくるようだ

木村の視点



 むかし唐津を訪れた際に、「ここのイカは美味いんですよ! 後日送りますね」と言われて早7年。ようやくにして、イカの活き造り発祥の店で件のイカを口にすることができた。なるほど美味い。この店のオーナー古賀さんの凄いところは資源やアイデアを独り占めにせず地域に提供したことだ。おかげでどの店もが同じ料理を提供できるようになり、情報の共有化や戦略的なメディア発信に努めた結果、呼子の街が、年間100万人もの観光客が訪れる、「イカのテーマパーク」のようになったという。店・漁・呼子と広がった古賀さんの発想の分母はさらに大きく唐津市全体へと広がっている。どうやら、呼子の港は鯛やイカばかりではなく、とれとれの人物まで育んだようだ。

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