2016年07月20日10時00分

にっぽん日和 長野 松本市

にっぽん日和 長野 松本市




カメラ/渡邊春信 ライター/吉田彩乃 デザイン/北川原由貴 プロダクションマネージャー/池田大作 スペシャルサンクス/松本市



松本城管理事務所研究専門員の後藤芳孝さんが、「火蓋を切る」の語源など、松本城について詳しく案内してくださいました。





山岳、音楽、学問…… “三ガク都”の街、松

松本市は、3000m級の山々が連なる北アルプスに囲まれた城下町です。「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」の開催や、優れた音楽家を数多く輩出したスズキ・メソード発祥など、音楽も盛ん。日本最古の小学校、旧開智学校など、昔から教育(学問)にも熱心な町でした。また、「松本まるごと博物館構想」のもと、博物館も数多く建設されてきました。



※(右写真)公益社団法人才能教育研究会会長の鈴木裕子さん。75歳の現在も、指導にあたっているそうです。
(左写真)音楽教室スズキ・メソードでの練習風景。降旗先生が「キラキラ星変奏曲」を指導しています。



耳で学習する「母語教育法」

スズキ・メソードでは、創始者の鈴木鎮一氏が考案した「母語教育法」が今も受け継がれています。
 「赤ちゃんが毎日繰り返し耳にしている言葉をいつの間にか覚え、自由自在にしゃべるようになる能力は素晴らしい、と気づいたことが母語教育法の始まりでした。言葉を耳で聞いて覚えてから字を覚えるように、音楽を聞いてから楽譜を覚えれば、感性がより豊かになるはずだ、という考えに基づいています。自分の耳だけに頼って学習しますから、集中力も身につきます。母語教育法は、現在では世界46カ国、40万人の人に広がり、国内では1300カ所にスズキ・メソードの教室があります」と、鎮一氏の姪で、公益社団法人才能教育研究会会長の鈴木裕子さん。

 スズキ・メソードではヴァイオリンの他、ピアノ、チェロ、フルートの教室もあります。過去の生徒の中にはヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんや、チェロ奏者の宮田大さんなど、著名人もたくさん。
 スズキ・メソードのレッスンを見学させてもらったのは、ある水曜日の夕方でした。生徒さんは、4〜5歳の男の子が二人。子供向けの小さなヴァイオリンで、「キラキラ星変奏曲」の練習をしていました。特徴は、楽譜がないこと。生徒さんは、先生の声と自分の記憶を頼りに少しずつ弾いていきます。表情は真剣そのもの。小さな男の子が真剣な眼差しで「キラキラ星変奏曲」を奏でる様子を見ていると、どこか胸が熱くなってきます。レッスンを見守るお母さんの手にも、少し力が入ります。

 レッスンの最後には、お母さんも「キラキラ星変奏曲」の練習をします。指導歴約40年の降旗みすず先生によると、「お母さまに曲を覚えていただき、ご自宅でお子さんが楽譜なしで練習するときに指導していただけるようにします」とのこと。創設当初から続く「親子で学ぶ」スタイルが、今も大切に守り続けられています。


松本市の才能教育会館

公益社団法人才能教育研究会
松本市深志3-10-3






日本最古の小学校


旧開智学校は、日本で最も古い小学校のひとつです。開智学校が開校したのは1873年。現在保存されている校舎は、その3年後の1876年に棟梁の立石清重が建てたものです。開智学校は、文明開化の波を受けて、西洋建築の知識が全くない日本の棟梁が、見よう見まねで建てた〝擬洋風学校建築〟。東京大学の前身となった、開成学校などを参考にしたといわれています。1961年に、日本で初めて重要文化財の指定を受けました。

 「西洋に似せて建てた特徴のひとつが、『紙天井』。旧開智学校の天井は、5枚の和紙を貼り重ねてできています。壁には漆喰を使っているのですが、当時の日本には天井に漆喰を貼る技術がなかったために、このような工夫を凝らしたと推測されます」と、学芸員の遠藤正教さん。慌てて西洋に追いつこうとした、当時の日本の拙速主義を象徴しています。それがよく表れているもうひとつの内装が、校長室へ続く螺旋階段。見た目だけを真似て造ったために段板に十分な幅をとっておらず、とても上り下りしにくかったそう。

 「上から校長先生が落ちてきた、という資料も残されています」(遠藤さん)
 このような細かな情報まで残されているように、旧開智学校で保存している各種の教育資料は、質も量も日本一です。
 指導方法でユニークなのは、「第一学級」を設けたこと。成績の悪い生徒だけのクラスを作り、優秀な教師をつけて学力向上をはかったといいます。成績が悪い生徒のクラスだと生徒たちがわかってしまうと、他のクラスの生徒たちからいじめられてしまう心配があったため、名前を聞いただけではわからない「第一学級」と名付けたとか。

 教室に展示されている机や椅子は、実際に使われていたものです。近づいてよく見てみると、生徒たちの落書きが残っています。生徒がノート代わりに使っていた小さな石板も、見ることができます。



①旧開智学校の校舎。約90年使われたのち、1963年に女鳥羽川畔から現在の場所に解体移築復元されました。②学芸員の遠藤正教さん。写真は、教室で机に座っての一枚。手には、生徒がノート代わりに使っていた石板。③5枚の和紙を貼って重ねてできた「紙天井」。

旧開智学校
松本市開智2-4-12








日本最古のラジオもコレクション


無類のラジオ好きの岡部匡伸館長が35年にわたり収集してきた、戦前から現代までの貴重なラジオ、テレビなどが約1800点収蔵されています。自動車会社のマツダが作ったと勘違いされやすい、東芝が製造していた「マツダラジオ」の貴重な看板も展示しています。

日本ラジオ博物館理事の横内照治さん
日本ラジオ博物館 松本市中央2-4-9







計量の歴史を学べる博物館


なぜ松本市にはかりの資料館があるのか。それは、明治から昭和末年まで営業を続けた竹内度量衡店が、両替天秤、繭の雌雄選別器、毛髪湿度計、テミスの像、ロバーバル機構などはかりに関する資料を所有しており、松本市が建物ごと譲り受けたことに由来しています。

職員の矢口恵子さん

はかり資料館
松本市中央3-4-21






貴重な時計が動いたまま展示


松本市時計博物館の特徴は、約110点の時計を、できるかぎり動いている状態で展示していること。そのうちのほとんどが、古時計の研究者であり技術者でもあった故・本田親蔵氏が生涯をかけて収集した貴重な和洋の古時計です。人々に愛でてほしいと願い、寄贈されました。

学芸員の山下太一さん

松本市時計博物館
松本市中央1-21-15





土蔵造りが残る趣深い城下町

400年以上に及ぶ城下町、松本。中町通りや縄手通りには、明治、あるいはそれよりも昔に建てられた土蔵造りが今も数多く残されています。道幅の広い、のどかな町並みを歩いていると、気持ちが少しずつ穏やかになっていくようです。市内には、1300年以上の歴史がある浅間温泉もあります。


「町の中は自転車がラクなんですよ」と、松本観光コンベンション協会の清水政義さん。






世界の小澤征爾と共に歩んできた音楽の町



実行委員会の小口一夫さん

 1992年に小澤征爾が創立した音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、昨年、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」へと名称変更。2013年の小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ演奏のCDアルバム「こどもと魔法」は、2016年2月の第58回グラミー賞のクラシック部門「ベスト・オペラ・レコーディング」を受賞しました。



観光に疲れたら足湯で一休み



浅間温泉 ホットプラザ浅間の足湯
松本市浅間温泉3-16-3


 浅間温泉の起源は、日本書紀に登場する「束間」と推定されています。江戸時代には松本城の殿様が通ったといわれています。無料で楽しめるホットプラザ浅間の足湯は、ふらっと立ち寄れる気軽さが魅力。観光に疲れた足を癒すもよし。地元の人々の憩いの場としても親しまれています。






県内シェア約6割! 長野県民の愛読紙


信濃毎日新聞の創刊は1873年。「長野新報」として誕生しました。現在の販売部数は約48万部、長野県内の60%以上の世帯が購読(信濃毎日新聞ホームページより)。反権力の伝統を持ちます。「地域に密着したい」という松本本社編集局次長兼報道部長の藤島義昭さん(写真右)と、報道部記者の新家寛樹さん。

信濃毎日新聞 松本本社




天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神とすることから「四柱神社」の名に。「神様が四人も集まったすごい神社なんです」(信濃毎日新聞の藤島さん)
四柱神社
松本市大手3-3-20







黒糖をふんだんに使った、味わい深いかりんとう



蔵久にはバナナ・シナモンなど様々なかりんとうが並びます。一番のおすすめは、国産の黒糖をたっぷり使った「源作」(12袋850円)。店内で食べる揚げたての「かりんとうまんじゅう」(140円)も美味。

店長の高橋香さんと、マスコットキャラクターの「かりんとう様」

蔵久 中町店
松本市中央3-2-13




“つけもの名人”が丹精込めた手作りの味



地元農家の“つけもの名人”たちの手作りのわさび漬けや梅干しなどが並びます。酢とほんの少しの砂糖で作る信州の漬物は、不思議とコーヒーとも好相性。

「つけもの喫茶」を経営する玉之湯女将の山崎圭子さん

つけもの喫茶
松本市浅間温泉2-4-19




夫婦で営む雑貨屋×オーダーメイドスーツ店



 入り口にはキッチン用品やキャンドル。店内奥を見渡せば上質なスーツやネクタイ。何のお店?とつい気になってしまうのが魅力です。同じ店内でご主人の赤羽信さんがスーツなどのオーダーメイドを行い、奥様の夕美さんがインテリア雑貨の販売をしています。

ノットアノット・ニューオーディナリー
松本市中央2-3-15



常連客から愛され続ける喫茶店



 「民芸茶房まるも」は、慶応年間に造られた「まるも旅館」の一部を改築して、1956年に開店。店長の三浦史博さん(写真)は「先代の祖父から店を継いだのは5年前。自分が生まれる前からいらっしゃっているお客さまも、新しいお客さまも大切にしたい」と語ります。

民芸茶房まるも
松本市中央3-3-10






取材をした5月某日、長野県松本市の中心部を流れる女鳥羽川の千歳橋下流では、こいのぼり約60匹がたなびいていました。



秀吉への忠誠を誓った黒い城



松本城
松本市丸の内4-1


 北アルプスを背景にしてそびえ立つ松本城は、文禄年間(1593〜1594年)に建てられたなかでは日本最古の五重六階の天守です。姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに、5つの国宝城郭のひとつ。国内外から多くの観光客が集まります。場外にいる甲冑を着た武士(写真左)は、密かな人気者。時折、大きな音を立てて扇を開いては注目を集め、観光客と記念撮影してくれます。夏の暑い日も冬の寒い日も、こうして観光客を出迎えているようです。

 松本城は、外観が黒いのが特徴。もとは戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、小笠原氏が主に統治していました。1590年、豊臣秀吉の命令により松本城に入った石川氏は秀吉への忠誠を示すため、大坂城に倣い、松本城を全て黒く塗ったとされています。また、天守最上階の天井には、二十六夜神という松本城を守る神様が祀られています(写真上左)。

 松本藩は砲術に優れていた藩で、現在、城内には火縄銃も展示されています。火縄銃には「火蓋」という部分があり、弾を撃つ前には必ずこの蓋を開いて火縄に点火したことが、「火蓋を切る」の語源になりました。(写真上右)
 30分から1時間もあれば、五重六階の天守を回ることができますが、少し階段が急なのでお気をつけて。

松本城
松本市丸の内4-1




8種13通りの湯浴みが魅力の温泉旅館


星野リゾートの名前はよく知っているけれど、「界」とはなんだろう、と思う人も多いかもしれません。「界」は、星野リゾートが運営する、日本初の温泉旅館ブランド。地域と季節の魅力を感じられるおもてなしが特徴で、全国13カ所で展開されています。
 界 松本のお湯は、歴史ある浅間温泉。2つの大浴場では「檜おがくず風呂」、「寝湯」など8種13通りの湯浴みを楽しむことができます。天気のいい日は、露天風呂から満天の星空を眺めることもできます。
 毎日ロビーでミニコンサートが開催されているのは、音楽の街・松本ならでは。

スタッフの新本有香さん

星野リゾート 界 松本
松本市浅間温泉1-31-1
http://kai-matsumoto.jp



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