2016年12月18日18時10分

いつもその時代に必要とされる人間でいたい。 三遊亭円楽 落語家

木村政雄編集長スペシャルインタビュー

三遊亭円楽 落語家


いつもその時代に必要とされる人間でいたい。



「面倒くせぇから、弟子になっちゃえよ」
放送作家に憧れた大学時代、
5代目三遊亭圓楽師匠の言葉が、人生を変えた。
師匠を喜ばせたい。
修行中は、そのことだけを考えていた。
師匠から異例の生前襲名を受け、今や長寿番組「笑点」の古参に。
白のトップスに、黒いショートパンツという洒落た出で立ちで颯爽と現れると、
こう笑った。「だんだん、服装に遊び心が出てきたんですよ」
一人前になった今だからこそ、できる服装なのだ。





三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)
1950年、東京都墨田区生まれ。落語家。本名:會 泰通(あい やすみち)。青山学院大学法学部卒業。在学中に五代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトをしたことで見初められ、卒業後に弟子入り。六代目三遊亭圓生から楽太郎と名付けられた。76年、二ツ目に昇進。翌年8月に「笑点」のレギュラーに。以降、現在まで39年にわたり同番組の出演が続いている。81年、真打に昇進。2007年からは、東西の落語家を集めて公演を行う「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけるようになった。博多で同イベントは秋の風物詩として定着し、今年11月3日〜6日の開催で第10回目。開催の2カ月前にはチケットが完売するほどの盛況ぶりを見せている。2010年に師匠である五代目三遊亭圓楽から襲名を受ける。




木村:いやーっ、お若いですね。とても似合っていらっしゃいます。

円楽:いやいや、もう中は少しボロボロになってきましたよ(笑)昔、うちの師匠にね、売れるまではきちんとしてなさい、でないとお供をしていて、どこかで「お弟子さんも」と誘われた時に連れていけない。売れていればそれもファッションになるからって言われたことあるんです。今、噺家を見ていると東京の噺家は、何の職業かわからない服装をしていますよ。若い子は学生なんだか、勤め人だか。で、ふっとある時にね、おしゃれを始めたんですよ。10年くらい前かな。いろいろ凝ったりしているうちに、だんだん遊び心が出てきて、店のスタッフも、シャレで「ショートパンツにしましょう」とか遊んでくれるから面白がってやるようになったんですよ。

木村:そうですか。私なども家でショートパンツをはいたりしますが、なかなか外へ出かける勇気はないですね。

円楽:仲間のおばさん連中は、やめなさい、って言ってるんです。恥ずかしいって。(一同、笑)でも、ジャケットにショートパンツ、ストローハットかぶってね。面白いですよ。みんな見るしね。ふふふ。

木村:どうしても60歳を超えるとみんなその年代なりの服装になってしまいがちですね。
円楽:確かに近所を歩いている時はタンクトップでもいいんですけど、やっぱり人前というか、街中を歩いている時は、自分だとわかっちゃったときに「あっ素敵!」て思われるもんでないとおかしいかな、と、そんな哲学を持ち始めるようになりましたね。

木村:すべて御自分で考えられるんですか?

円楽:そうですね。ワンブランドに決めています。ここ何年かは銀座のアルマーニが主流で、店の人も色々相談に乗ってくれるし、馴れてくると、やたら「こういうもの入ります」「秋冬コレクションです」って連絡が来て、勧められたりするんですよ。

木村:やっぱり、ご出身がオシャレなイメージのある青山学院ですものね。

円楽:いや青山学院って、実は地方の少しいい家ぐらいの人間が多いんですけど、世間が勝手にシティボーイが多いというイメージを持っているだけなんですよ。それで、自分が噺家になって二ツ目になるときに、なんかアピールするものがないかなって噺家仲間を見てみたら、ほとんどシティボーイなんていなかったんですね。よし、これは使えるなと思ったんです。それで着る服のブランドがVANになって、ブルックスブラザーズになって、一時、JUNになっていったというわけなんです。

木村:だけど、高校の時は就職コースで、公務員試験まで受けて、合格されていたんでしょう。それが何で急に青山学院へ行こうと思われたんですか。

円楽:その頃はそんな言葉がなかったけど、記念受験ってやつです。一つくらいは受けてみようかなと思ったんです。あの頃は何しろアルバイトばかりやっていましたからね。確か7000円くらい手元に残っていたんですよ。それで、受験料を調べると、だいたい5000円ということがわかって、5000円ならある、じゃあ今から願書が間に合うとこって、友達に大学要覧を借りて調べたら、1ページ目が青山学院だったんですよ。で、受験したら、受かってしまいましてね。未だに近所の同級生と酒を飲むと、「一緒に受けた人間はみんな落ちたのに、お前、よく受かったな」と言われますよ。受験勉強をしてない自分が入っちゃったんです。

木村:公務員試験に備えて勉強されていたのが効いたんですかね。

円楽:いや、勉強の仕方なんでしょうね。僕は昔から予習・復習ってしない人間なんです。小さい頃、母親に言われたんです。「なんだ、その予習っていうのは」「なんでお前習ってもいないところをやるんだ」って。「間違えて覚えたらどうするんだよ。まっさらで学校にいけ。目は二つある、耳も二つある、口は一つなんだ、なんで二つあるのかを考えてみろ。人の倍見て、倍聞いて、一つの頭に集約しろ、それを一つの口でしゃべるんだ」そう小学校の時に教わったんですよ。僕は「そうか!」と思って、中学のときから先生にお願いして、席替えの時も前にしてくれと頼んだんです。一番前に行くと、情報がそこしかないんですよ。先生と黒板だけ。後ろに座ると、こいつ寝てる、こいつ遊んでる、と余分な情報が全部入ってくる。だから前に座って、そこで情報を得て、復習は興味を持ったところだけしたんですよ。少しひっかかることがあると、図書館へ行くんですよ。司書さんに「こういうことを調べたいんですけど」と言うとちゃんと助けてくれますから、それを手書きで写したり、イラストを描いたりしながら、自分でまとめたノートを作っていました。それは大学入っても同じで、僕のノートは本当によく皆の間を回ってました。授業に出てない人間のところに僕のノートが回ってるんです。そのうちタダで貸すのもどうかと思って、コピー代をとって回すようにしていましたね。まあ効率よく勉強していたということなんでしょうかね。

木村:勉強の仕方を含めて、生き方そのものも要領がいいってことなんですかね。

円楽:師匠にも「おまえは要領がいい」って言われましたね。悪い意味じゃなくて。「打てば響くし、すぐにわかるし」って。下町の貧乏人のせがれってそうなんですよね。しかも次男坊でしょう。毎日が生き残りゲームなんですよ。悪く言えば、人の顔色を見る。よく言えば要領がいい。それは言われましたね。僕は団塊世代の最後だから「どうやって生き残ろうか」という世代でしょ、先輩たちを見ながら賢くなっていきますよね。話も合いますしね。





「面倒くせぇから、弟子になっちゃえよ」
人生を変えた師匠の一言



木村:ご両親には断らないで大学を受けられたんですよね。

円楽:受かってから話をしたら、「うちなんかどうやっても大学なんて経済的に行けるわけないだろ」と言われましたね。「自分で働いて行くから」と言うと、「その代わり何にも出さないよ」って。そうしたら、本当に出さない親だったんですよ。見事なまでに。だから、大学へ行くのにも高校の学生服を来て行ってましたよ。ボタンだけ変えてね。とにかく電車賃稼がないと。他にも、本代、授業料もね。入学金だけお袋に借りて、それっきり出してくれないんですよ。だからなんでもいいからアルバイト、アルバイトの連続で。一生懸命働くでしょ、そうすると、アルバイト先でも重宝がられて、君もだいぶ仕事を覚えたから君がチーフでやってくれ、となるんです。そうすると、僕が給料をもらって皆に渡すんですよ。ずいぶん中間マージンが入るんですよ。そんなことでもって稼ぎましたね。

木村:授業はちゃんと受けられたんですね。

円楽:一年は皆出席ですよ。58単位全部とって、教師をやろうと思っていましたから、教職課程も少しとったんです。で、2年の時の途中に師匠と知り合って、お供を始めるようになったら放送作家の先生を紹介していただいて、その方が「水曜イレブン」や文化放送の番組をされていたので、お手伝いするうちに「これは面白いぞ」と思うようになっていたんです。そんなある日、師匠から「卒業したらどうする?」と聞かれたので、「放送作家になりたいんですけど」と答えると、「どうだ、落語やってみないか」と。「面倒クセェからいっそ弟子になっちゃえよ」って言われたんです。その頃、師匠は「星の王子様」と呼ばれていたんです。で、つい「お願いします」と言っちゃったんです。だってあの、オーラで「弟子にならねぇか」って言われたら「嫌です」とは言えないですよね。

木村:それでお父さんと一緒に師匠の所を訪ねられたんですよね?

円楽:そうしたら師匠が、「一年くらいあたしについて見てますけど、この子ならなんとかなりますよ」と言ったんです。僕それを聞いちゃったんですよ。「おぉ、やったぁ」と思っていたら、親父が帰った途端、今まで、「君」だったのが、ばか、へちま、たこですよ。そーか、そっちがそんなに変わるんなら僕も変わってやろうと思ったんです。師匠からは「俺を喜ばせろ」と言われました。「俺一人を喜ばせればいい。お前の上司は俺だけだ。俺一人喜ばせられなければ、お客さんを喜ばせられない」と言われたんです。それからは真剣にどうすれば師匠が喜んでくれるかなぁと考えましたね。

木村:例えばどんなことをされたんですか。

円楽:チェーンスモーカーの師匠を面白がらせようと思って、台所にある徳用マッチをカバンに入れて、師匠がタバコに口をつけると、さっと徳用マッチを擦って火をつけるんです。周りの人が驚くんです。そうすると師匠が、「いやぁあたしね、タバコ吸いすぎて、小ちぇえマッチじゃ間に合わねぇんでね」。「私が持たせてんですよ。なぁ、それが二箱はいるよなぁ」とおっしゃるんです。それで帰りのタクシーの中で、「お前、あれどうしたんだい」と聞かれて、私が「いやぁ買ってきました」と言うと、300円とか500円をくれるんですよ。師匠というのはみんなの前で財布を出すの嫌でしょう。「おい、楽太郎、勘定」と言われて、「もう済んでます」と答えると「ちょっとお前、帰り、うちまで乗ってきな」「お前が払ったのか?」「たて替えときました」「生意気だねぇ、おまえは。だけど、よく金があったね」「えぇ、いろんなところでもって一生懸命貯めといたんです」と言うと、「無理しなくたっていいから、足りなかったらマネージャーに言ってもらっとけ」って。そういったことは褒めてくれました。褒められなかったのは芸のことだけでしたね。

木村:それはご謙遜だと思いますけど、時にはゲンコツが飛んできたりすることもあったんですか?

円楽:手は出さないです、でも一つ気に入らないと、すぐにキレるんですよ。すぐに「なんだてめぇは」となるんです。けど、まぁ、病気になってからはだんだんだんだん弱気になりましたね。




異例の生前襲名へ
「誤魔化しちゃおうと思ってた」



木村:こうしてお話を伺っていると、ずいぶんと順調に歩まれたように思えますが、挫折とかはなかったんですか。

円楽:すべてがなりゆきで、そのまま流されてうまくきちゃったんですね。師匠がこの世界へ誘ってくれて、噺家になって、二ツ目になって、わずか一年で師匠が笑点を譲ってくれて、ちょっと厳しい時期もあったけれども、師匠が卒業して歌丸師匠に代わって、何年か経って、段取りをつけて、襲名の半年前に向こうに行っちゃったわけですよ。師匠が私の人生を全部段取りしちゃったようなものです。本当は二人並んでみんなに祝ってもらって五代目、六代目が揃って口上をするはずだったんです。博多の会も、うちの師匠が命をもって宣伝してくれたおかげで東京・大阪の売れっ子たちが全部出てくれているんですよ。

木村:師匠がお亡くなりになった時は、ちょうど博多天神落語祭りの直前だったと聞きますが、いつからプロデュースをされているんですか。

円楽:今年で十年目になりますかね。

木村:どうして博多でやろうと思われたんですか。

円楽:博多で落語会をサポートしてる仲間がいまして、一緒に飲んでいる時に「独演会とか二人会じゃなくていっぺんにばーってやれませんかね」って言うから、こちらも酔った勢いで「できるよ」、「じゃあやりましょうか」となったんです。「ついちゃあね、やるけどその代わり赤字が出たら二人で背負おう」と私が言ってしまったんですね。そうなったら二人とも必死でやりますよね。最初は二日間で16公演くらいやったんですよ。やっていくうちにもっとできるねぇ、ってなって、十年目の今年は、東西から65人。落語会に関わっているイベント屋さんからこの時期は落語家がいないっていわれるほどに育ちました。どうして博多なのかというと、たとえば上方でやっている人の会に我々が行くとゲスト、逆に東京でやると、上方の人がゲストになっちゃうわけです。どちらもホーム・ビジターにならないニュートラルな所となると、札幌か博多しかないということなんです。博多をみんなが好きなのは。酒も魚もうまいからですね。

木村:ところで関西の芸能界にいた私にとってはよくわからないのですけど、東京では落語協会と落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流に分かれているじゃないですか。これって、四つに分かれる必要があるんですか?

円楽:「もう一回全部一緒になっちゃえばいいんですよ。上方落語協会があって、東京落語協会があって、その上に日本落語協会があればいいんです。ぜひ俺たちの目の黒いうちにやりましょ、といってあちこち火をつけて歩いてます」。僕なんか所属は一門なんだけど、業界は一つだっていう頭がある。過去の経緯はともかく、お客さんを増やすのが業界全体の発展に繋がるんだろうと思うんです。だったら、それこそ、東西一緒に日本全国、5人くらいのチームを5パターンくらい組んで、本州も北と南、四国、北海道、九州って組み替える。そんなことやったらきっと楽しいと思うんですよ。

木村:もっと言えば関西は真打も二つ目もないじゃないですか。要は実力次第。そうなった方が僕は落語界にとってもいいと思いますけどね。

円楽:ただ、今までやってきた人もいますから、真打というところをスタートにしてあげれば、それを目標として皆が頑張るから今のシステムは残してもいいと僕は思います。でも、そこから売れるか売れないか、うまいか下手かはお客さんが決めますから。みんな客商売だってことを忘れてるんですよ。

木村:私などは「真打披露」と聞くたびに、真打になったからといって、それまでより倍面白くなったんですかなんて思ってしまうんですが……。

円楽:上方の人にすれば簡単、「面白いか面白くないか」。僕に言わせれば、「面白いかうまいか」。うまい人は認めますよ。うまぶるやつがいけないんです。僕なんかは認めちゃうもん。自分なんか数えると、自分の上に36人もうまいのがいますけどね。アハハ……。

木村:またまた! それはないでしょうけど……。師匠から名前を継いでくれ、と言われてから、還暦の60歳で6代目ということになられたんですけど、生前襲名っていうのはあまり例のないことなんですよね。

円楽:ないですね。うちの師匠が体力的にも弱ってたし、笑点もやめて、前からお前を圓楽にするとは言われていたんですよ。私はいっそ、楽太郎のまま行っちゃおうかと思ったんですけどついに誤魔化しきれなくなって引き受けることにしたんです。師匠は本名の吉河に戻るからとおっしゃったんですけど、五代目円楽でいいんですよと言ったら師匠は「そりゃ、おかしいよ、おまえ、5代目と6代目がいっしょにいたら」とおっしゃったんです。いいじゃないですか、じゃあ変えるなら本名じゃなくて芸名を圓翁におなりなさい。歌舞伎の市川猿之助をつくるために先代が猿翁に変えられたように、師匠が圓翁、私が円楽、屋号は「澤瀉屋」じゃなくて「面長屋」でいいじゃないですかといったら、くだらない、おまえ、そんなことばっかり考えてるのかと笑われました。





第十回三遊亭円楽プロデュース「博多・天神落語まつり」
2016年11月3日・4日・5日・6日
http://rakugomatsuri.com/index.html




「司会になれなかった円楽です」がネタに


木村:さて、「笑点」の話になるんですけど、円楽さんは木久扇さんに次ぐ古参のメンバーですよね。もう何年お出になってるんですか。

円楽:入ったのが27歳ですから、8月でまる39年。番組の視聴率がいいですから、あれに出ると確かに仕事はいただけますね。でも、その仕事が何でくるか、きたあとに何をするか、それが大事なんです。仕事ってなんだって考えた時に、自分の仕事は落語だと思うんですよ。でも、僕の場合は落語での評価はまだまだ低いですね。確かに笑点に出たことによって、本業でないことも頼まれますよ。でも私はしゃべる商売なら何をやってもいいんだと思っています。講演も、くるってことは評判がいいんだろうと思います。バラエティも呼ばれるようになる。出なくていいじゃないですかと言われたりもするんですけど、いや、噺家出てねぇじゃん、と。呼ばれりゃどこでも行って、それなりのことはできるし。落語家として出てるんだからそれでいいと思っています。

木村:笑点でもう一つお聞きしたかったのは、司会者の候補に挙げられていたじゃないですか。でも結果、そうはなりませんでしたよね?

円楽:理由を聞いて納得しましたよ。世間は、ネットやなんかでもそう言ってくれていたから自分のところにくるのかな、自分がまとめるしかないだろうなと思っていたら、制作サイドから「師匠は司会できるんだけれども、師匠が司会になっちゃうと解答者側が薄くなる。かきまわすなら、解答者でかき回してください」と言われたんです。そういえば歌丸師匠も司会になった時に散々言ってたんですよ。言いたいことを答えに乗せてアジテートしたいことができないって言われてたんです。つまり世相を切ったりいろんなことができない、それを止めて司会者として発言をすると番組が止まっちゃうって。あぁなるほどな。横を見れば、確かにそれをやる人はいない、と。それをやらないと軽くなりすぎる、だから納得しました。未だにウケますもん「司会になれなかった円楽です」と。むしろ、いいキャッチが一個できたくらいに思っています(笑)

木村:確かに番組の先行きを考えると、若い人が司会するというのはいいと思いますね。

円楽:こっちはぶつけられますからね。昇太とはキャッチボールもできますし。最近思ったんです。今までずっと上にかわいがられて上の人とばかり付き合ってたでしょ。自分が上になって、「しまった」と思ったのは下の人と付き合ってなかったということですね。

木村:あぁなるほどね。

円楽:上の人たちがすごく素敵だからそれにずっとぶら下がっていくと、楽しいんですよ。喜んでくれるし。ところが、ふっとここにきて、ふと見ると、上がいないんです。正直言って、小言を言われる人いないでしょ。師匠もいないし。木久扇さんの小言なんて誰も聞かないしね。自分に小言を言ってくれる人がいなくなっちゃったんですよ。小言を言う奴はいっぱいいるんですけどね。本当は優しいんですよ(笑)。けむたがられてるんだろうな。ならそれでいいやと思ってね。一生懸命勉強すれば名人になれたんでしょうけど、そこにいかない自分がいるんですよ、いつも。いつも二番目みたいなところにいるんですけどね。でも、何かその業界でやるときに必要なポジション、必要な名前でいたいとは思います。名人っていうのは疲れるんですよ。名人は怪談話とか人情話もやるんだから。なら、名人の次の達人でいたい。笑わせたり、聞かせたり、楽さんにこれ出てもらおう、これやってもらおうと、その時代に必要とされる人間でいたいです。そう思いますね。

木村:なるほど。いやー、今日は実にいいお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。これからの益々のご活躍をお祈りしております。





対談後記

いきなり、ジャケットにショートパンツというスタイルで現れてびっくりした。それだけ時代に対して、ビビッドな感覚を持っていらっしゃるということだろう。お話も実に整理されていて、さすが噺家さんだけのことはあるなと感心した次第である。江戸っ子だけあって、歯切れのいい言葉で、ウィットに富んだお話をしていただいたのだが、そのまま活字にするわけにもいかず、多少の修正をさせていただいた。「落語界も今までの経緯に拘らず、大同団結をすべき」という意見には私も大賛成である。トラディショナルな世界にあって、ただその慣習だけに甘んじていては、これからの発展は望みえないからだ。謙遜を込めて「その時代に必要とされる人間でいたい」などとおっしゃっているが、これからの落語界が発展するために、欠かせない存在であることは衆目の一致するところである。「軽妙」とは、軽やかで巧みなさま、「洒脱」は俗気がなく爽やかなさまを言うが、少なくとも、多少の俗気だけはこれからも保ち続けてほしいものだ。




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