2014年12月04日1時07分

■ビジョナリーな人たち 山本 友文 山本合名会社 代表



山本 友文 山本合名会社 代表



山本 友文(やまもと ともふみ)
1970年、秋田県生まれ。地元の高校を卒業後、アメリカで機械工学を学ぶ。卒業後に音楽プロダクションに入社。2002年、山本合名会社の後継者として帰郷する。従来のブランド「白瀑」に加えて「無農薬 純米山本」を米作りから手がける。


杜氏制を廃止した白瀑醸造
出る杭は打たれっぱなしではいられない


「次世代の秋田の日本酒を担おう」と立ち上がった5人がいる。
「NEXT5」という秋田の蔵元集団である。
発起人はNEXT5のひとり、山本合名会社代表の山本友文さん。
醸造の世界に欠かせない「杜氏制」を廃止し、
自らが酒の製造責任者となって米作りから手がけたことが
きっかけとなり、若き蔵元たちが集結したのだ。
アルコール業界の中で、日本酒が占めるシェアは
6%程度と言われる中、
「焼酎でもなく、ワインでもなく、美味しい日本酒を」
そんなムーブメントが今、秋田から巻き起こっている。




「白瀑」の看板の隣には「山本」が並ぶ。




酒米は自社精米によって、自分たちが納得できるまで米を磨く。




平成22年から醸造アルコールを添加する本醸造と大吟醸を廃止して、純米、純米吟醸、純米大吟醸のみを生産するようになった。



酒蔵のすぐ近くにある「白瀑」。蔵の仕込み水は、この裏山の中腹に湧き出る天然水を使用している。

東京から呼び戻された6代目
日本酒「白瀑」存続の危機


 秋田県山本郡八峰町。1100有余年にわたって、清涼なる瀑水の音を轟かせる「白瀑」がある。この滝を落とす山の中腹に湧き出る天然水の恵みを受けて、明治34年に酒造りを始めた蔵元、「山本合名会社」。その酒は「白瀑」の名を冠し、昭和40年代には全国に先駆けて大吟醸酒を商品化して、東京や神戸の料亭にも流通させる蔵元に成長していた。

 現在、山本合名会社を率いるのは6代目、山本友文さんであるが、その経歴を尋ねると、「こんなはずではなかった」の積み重ねのようにも思える。

 「僕は高校を卒業してからアメリカのミシガンに留学して、機械工学を学んでいたんです。学生時代に通訳をした縁で、東京の音楽プロダクションに入社して、国内外を飛び回っていました。

 それが故郷に呼び戻されたのが13年前。そもそもウチの蔵は父が工場長で、叔父が代表を務めていました。そこで叔父の長男が東京農大に進学し、卒業後は何年か外で酒造りを学んだ上で後継ぎとなるはずだったのですが、専務として戻ってきてすぐに彼は亡くなり、追うように叔父が急逝したんです。そのとき『そういえば東京にアイツがいたぞ』と呼び戻されたのが僕だったんですね」

 急遽、6代目に就任すると、会社は創業以来の緊急事態だったという。10年間に代表が3度も代わり、迷走した経営の影響で売り上げは大幅に減少し、あわや倒産寸前という状況だったのだ。

 「僕が子どもだった頃の昭和50年代には、アルコールといえば日本酒が主流でした。だから酒を造れば売れるという時代。ウチにも毎日、大きなトラックが何台も着いて、めいっぱい酒を積んで、仙台や北海道に出荷していました。蔵には人がたくさんいて、毎日がお祭りのようだったのを覚えています。

 しかしその後、焼酎やワインなどに取って代わられて、現在では日本酒がアルコール業界で占めるシェアは6%くらいしかないんです。しかもその中の8割が、大手企業が作っているパックの日本酒なんです。ウチみたいな蔵の日本酒が占める割合は、全体の1%もないような状態です。

 でも僕自身、故郷に帰ってくるまでは、飲むといえばワインやビール、そしてハードリカー。日本酒なんてほとんど飲んだことなかったです。だから代表に就任して最初の2年くらいは何もわからず、ただただ、もがいている状態でした」

杜氏制廃止の決断
無農薬純米酒「山本」を自ら手がける


 6代続いた蔵元の酒を救うため、試行錯誤をした山本さんが決断したのは、杜氏制の廃止だった。

 杜氏といえば、酒造りに欠かせない専門家であるはずだ。素人考えで言えば、杜氏がいなくなれば、酒の味も変わるのではないだろうか。100年以上にもわたって作り続けられてきた「白瀑」のたすきはここで途切れてしまうのか? どうする山本代表?

 「実は杜氏のお給料は非常に高いんです(笑)。杜氏は夏場は農業をして、冬場は蔵で酒造りをして、仕事が終わったら帰るという働き方なのですが、1日3万円近いお給料を払わなければなりません。酒造りの季節はずっと働いてもらうので、3万円掛ける30日分になるわけで、すでに僕の倍以上のお給料になります。経営状態の悪かった当時、それはとても厳しいものでした。

 しかもほとんどの杜氏は、酒の瓶にどんなラベルが貼られて、いくらで、どんなところに売られ、どんな人が飲んでいるのかを知りません。だから杜氏が作った酒を持っていっても『これじゃあダメだ、この程度のものはウチでは扱えない』と、跳ね返されてしまうんです。品質でダメ出しが出てしまっていたんですね。でも『いい酒だったらいくらでも売るよ』と言ってくれる人もいました。

 ならば全部自分でやろうと、杜氏制を廃止したわけです」

 常識を打ち破ったのであるから、当然、秋田の日本酒業界の風当たりはきつい。杜氏組合の講習会などに出席すると、最初は誰も口をきいてくれなかったという。しかし現在までの約7年間の中で、徐々に状況は変化する。その理由はひとつ、「品質向上」に尽きると山本さんは言う。

 「まず、ウチの主力商品に関して、勉強も兼ねて、最初から最後までの行程全てに自分が関わることにしたんです。まずは原料となる米作りです。棚田を借りて作り始めました。当時僕は37歳ですから、作り手としては非常に遅かったけれど、『そこまでやるなら』と、助けてくれる人もいました。

 酒のラベルも変えました。それまでは長年続いた『白瀑』しかなかったのですが、自分が作った酒には『山本』という名前をつけて、ラベルのデザインにもこだわりました。そうしたら『僕が作りました』と堂々と言えるでしょう? 今では『白瀑』よりも『山本』の方が認知されるブランドになったと思っています」

代表はマネージャーであり
プレイヤーでもある


 『山本』ブランドのマネージメントに関しては、7年間身を置いた音楽業界での経験が役だっているようだ。

 「当時の仕事はマネージメントだったので、アーティストが作るものをどうやって売るのか、日々考えていました。音楽業界は厳しい世界で、才能の塊のような人でも、ちょっとしたチャンスがつかめなくてそのまま消えていくことが珍しくありません。アーティストに限らず、アルバムの写真を撮るカメラマン、ジャケットのデザインをする人など、何でもちゃんとした仕事をする人でなければ生き残れないというのは痛感していました。

 そこで『山本』を売るときにも、何かしら特化したものが欲しかったんですね。酒造りをする現在、僕はマネージャーでもあり、プレイヤーでもあります。結果、米作りからやっている本気さが認められて今があるのだと思います」

 6代目を引き継いだ頃に比べて、現在の売り上げは3倍にもなった。スタッフへのお給料も増やし、ボーナスを払うこともできるようになった。

 そこで目下の悩みは、生産量が上限に近づいているということだ。

 「自分がプレイヤーであり、マネージャーである以上、製造量を増やすことは物理的に無理があります。また、大量生産をすると、自分が最初から最後まで作っているという説得力もなくなってしまいます。

 だから今は、生産規模を抑えて、ひたすら品質を上げたいんです。販路拡大の話があっても、今は新規を一切お断りする状況です。何しろ赤字が長かったので、蔵に手がつけられていないところが結構あるんですよ。精米所の外壁は剥がれかけてるし、屋根だって朽ちかけているでしょう?(笑) まずはそこを何とかしなければ」

 販路の拡大は抑えながらも、山本さんが自らの楽しみも兼ねて注目する販路がある。それは海外への日本酒販売である。

 「今年は韓国、香港、オーストラリアに行きたいと思っています。なぜその地域かというと、現在、日本酒の輸出の半分以上が北米向けで、北米には何百社もの酒造メーカーが進出していて飽和状態なんです。そこに入っていくよりは、あえてフロンティア的な方面に出ていく方がいいかなと思って。もともと自分もバックパックで東南アジアを旅した経験がありますしね」

 音楽業界に骨を埋めようとしていた山本さん。運命に押し流されるように蔵元になった今、職場にはビートルズの楽曲が流れ、あちこちにビートルズのパネルが飾ってある。「この人生でよかったのか?」と尋ねると、

 「人は若い頃、故郷を離れたいと思うものですが、年を取ると故郷に戻りたいと思うものでしょう? 今はとにかく、いい酒を造りたいんです。この仕事が天職だと思っていますよ」という答えが返ってきた。

木村の視点

 100年を超えた老舗企業がほぼ2万社ある中、業種別では清酒製造業が最も多いという。明治34年創業の山本合名会社もその一つである。老舗企業といえば家訓や理念をひたすら守るというイメージが強いが、それだけでは厳しい環境の中、とうてい生き残っていけるわけがない。その一方で絶えざる革新に取り組んでいるからに他ならない。山本さんが、現場モンロー主義に陥っていた杜氏制度を廃止したのは大きな決断だった。求められていたのは「保つ能力」ではなく、「より良くする能力」であり「新しいものを生み出す能力」であるからだ。この人を東京から呼び戻して6代目に据えたのは、老舗企業ならではの実にナイスなキャスティングであったように思う。



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