2014年12月04日13時35分
■母の想像力 室井佑月
マウンドにゆっくり歩いていく息子。投球前、キャッチャーに向かって、何度も首を振るんだよ。
ほんとうは、生真面目なキャッチャーと我が侭なおまえは水と油で、それほど仲良くはないはずだ。サインの研究なんてしていないんじゃない? いや、速球と緩球の2つだけ決めているのか。不器用なおまえは未だカーブは投げられないはずだし。
そして、打たれても絶対に表情は変えない。しかし、三振を取るとついニヤニヤしてしまうから、後ろを向くんだよ。
まだ観にいっていないのに、ここまでわかる母親ってすごくないか。
来週、息子のソフトボールの試合がある。息子は先発で登場するらしく、飛行機に乗って観戦しにいくつもりだ。
もちろん、来てくれなんていわれていない。
来てくれといわれていないが、観にいきたいから観にいくのである。
夏の試合はせっかくビデオカメラで撮ったにもかかわらず、手ぶれが酷く、観られたもんじゃなかった。
今回の試合のために、立派な三脚を買った。ビデオカメラのバッテリーが切れると不味いから、予備のももう一個、買っておいた。
ああ、悔しいが、あたしはあの男が大好きなんだなぁと思う。
あの男がもっか大好きなのは、優等生のA子ちゃんだけど。A子ちゃんのことしか頭にないみたいだけど。
中間試験の成績が、いきなり90番もアップした。それもそのはず、あの男はあたしに再三電話してきて、「成績順位が10番上がったら1000円の報奨金な」と粘り強い交渉をしていたのだった。
試合を観に来いとはいわない、が、その交渉のためだけにあたしに何度も電話をかけてきた。
理由はデート費用が欲しいから。おなじ寮生の友達のお母さんから教えてもらった、最近、彼女が出来たって。名前はA子ちゃんで、色白の可愛らしい優等生だって。
月の小遣いは4000円と決めている。あいつは貯めとくなんて出来ないだろうし、たしかにはじめてのデートで4000円しか持っていないのは心もとないかもしれない。
褒美を金にするというのはイヤな気分だが、約束は約束だ。
あたしはいった。
「わかった、9000円な。ところでなんに使うの?」
息子は黙っていた。質問を変えてみた。
「ところで、なんでそんなに成績が上がったの?」
「試験期間中、部活休みだったから、ずっとBくんの部屋にいた」
Bくんといえば、学年でぶっちぎりトップの天才だ。天才が風邪のようにうつるわきゃないだろう。わからないところもわからないようなおまえが、どうした? あたしがそういうと息子は、
「試験に出るとこ教えてもらった」
と答えた。
もう、みなまでいわなくてもわかる。おまえ、どうやって試験勉強したらいいかもわからず、とりあえず天才Bくんの部屋に押し掛けたんだろ。Bくんはそんなおまえに迷惑し、しょうがないから「ここら辺出ると思うよ。あとは自分の部屋でやって」と教えてくれたんではないか? おまえはしつこいから、試験期間中は毎日Bくんの部屋にいったんだ。だから今回、どの教科も大きなミスがなく、成績が上がった。
Bくんとは部活も違う。ずうずうしい男だよ。
そこまで一瞬のうちで想像した。想像している途中で、
「9000円な、絶対な」
といわれて通話が切れた。
A子ちゃんからの電話だったら、こんな風に切らないはず。なにしろ初デートにうきうきなんだからね。
デートは部活のない日曜か。あいつは普段、ジャージしか着ないけど、たった1枚持っているチノパンを穿いていくわな。上は最近送ったばかりのボーダーのパーカーか。
寮は朝勉があって昼の12時からしか出られないから、駅で待ち合わせをし、映画を観て、公園を散歩して、お茶をするぐらいか。映画あたりから、ずっと「手を繋ぎたいな」なんてことを考える。だけど、勇気がないから出来ない。
でもって寮の帰宅時間になり、走って帰る。待ち構えていた友達に、「どうだったよ?」なんて聞かれる。格好つけのおまえは、「ん? 秘密」と答える。デートのスケジュールはサッカー部のモテ男Cに相談したもので、知られていること以外、秘密なんてないくせに。
そして、寝る前に「今日の俺、どうだっただろ」なんて考えこんで、その夜は眠れないに違いない。
こんなもんだろ。話してくれなくてもいいよ、だいだいのことはわかるから。どうだ、母の想像力。
イラスト:北川原由貴
■室井 佑月(むろい ゆづき)
1970年、青森県生まれ。ミス栃木、レースクイーン、雑誌モデル、銀座の高級クラブでのホステスなど様々な職を経て、97年、「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」コンテストに入選。以降、「小説現代」「小説すばる」などに次々と作品を発表し本格的な文筆活動に入る。『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、『piss』(講談社)、『ドラゴンフライ』(集英社)、『ぷちすと』(中央公論新社)、『クルマ』(中公文庫)、『ぷちすとハイパー!』(中央公論新社)、『ママの神様』(講談社)などの長編・短編・掌編小説を多数刊行。一躍、人気作家への階段を駆け上がっていく。『ラブ ゴーゴー』(文春ネスコ)、『作家の花道』(集英社文庫)、『ああ?ん・あんあん』(マガジンハウス)、『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)などの痛快エッセイも好評を博す。現在、『ひるおび!』(TBS)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)などのテレビ番組にレギュラー出演中。
ほんとうは、生真面目なキャッチャーと我が侭なおまえは水と油で、それほど仲良くはないはずだ。サインの研究なんてしていないんじゃない? いや、速球と緩球の2つだけ決めているのか。不器用なおまえは未だカーブは投げられないはずだし。
そして、打たれても絶対に表情は変えない。しかし、三振を取るとついニヤニヤしてしまうから、後ろを向くんだよ。
まだ観にいっていないのに、ここまでわかる母親ってすごくないか。
来週、息子のソフトボールの試合がある。息子は先発で登場するらしく、飛行機に乗って観戦しにいくつもりだ。
もちろん、来てくれなんていわれていない。
来てくれといわれていないが、観にいきたいから観にいくのである。
夏の試合はせっかくビデオカメラで撮ったにもかかわらず、手ぶれが酷く、観られたもんじゃなかった。
今回の試合のために、立派な三脚を買った。ビデオカメラのバッテリーが切れると不味いから、予備のももう一個、買っておいた。
ああ、悔しいが、あたしはあの男が大好きなんだなぁと思う。
あの男がもっか大好きなのは、優等生のA子ちゃんだけど。A子ちゃんのことしか頭にないみたいだけど。
中間試験の成績が、いきなり90番もアップした。それもそのはず、あの男はあたしに再三電話してきて、「成績順位が10番上がったら1000円の報奨金な」と粘り強い交渉をしていたのだった。
試合を観に来いとはいわない、が、その交渉のためだけにあたしに何度も電話をかけてきた。
理由はデート費用が欲しいから。おなじ寮生の友達のお母さんから教えてもらった、最近、彼女が出来たって。名前はA子ちゃんで、色白の可愛らしい優等生だって。
月の小遣いは4000円と決めている。あいつは貯めとくなんて出来ないだろうし、たしかにはじめてのデートで4000円しか持っていないのは心もとないかもしれない。
褒美を金にするというのはイヤな気分だが、約束は約束だ。
あたしはいった。
「わかった、9000円な。ところでなんに使うの?」
息子は黙っていた。質問を変えてみた。
「ところで、なんでそんなに成績が上がったの?」
「試験期間中、部活休みだったから、ずっとBくんの部屋にいた」
Bくんといえば、学年でぶっちぎりトップの天才だ。天才が風邪のようにうつるわきゃないだろう。わからないところもわからないようなおまえが、どうした? あたしがそういうと息子は、
「試験に出るとこ教えてもらった」
と答えた。
もう、みなまでいわなくてもわかる。おまえ、どうやって試験勉強したらいいかもわからず、とりあえず天才Bくんの部屋に押し掛けたんだろ。Bくんはそんなおまえに迷惑し、しょうがないから「ここら辺出ると思うよ。あとは自分の部屋でやって」と教えてくれたんではないか? おまえはしつこいから、試験期間中は毎日Bくんの部屋にいったんだ。だから今回、どの教科も大きなミスがなく、成績が上がった。
Bくんとは部活も違う。ずうずうしい男だよ。
そこまで一瞬のうちで想像した。想像している途中で、
「9000円な、絶対な」
といわれて通話が切れた。
A子ちゃんからの電話だったら、こんな風に切らないはず。なにしろ初デートにうきうきなんだからね。
デートは部活のない日曜か。あいつは普段、ジャージしか着ないけど、たった1枚持っているチノパンを穿いていくわな。上は最近送ったばかりのボーダーのパーカーか。
寮は朝勉があって昼の12時からしか出られないから、駅で待ち合わせをし、映画を観て、公園を散歩して、お茶をするぐらいか。映画あたりから、ずっと「手を繋ぎたいな」なんてことを考える。だけど、勇気がないから出来ない。
でもって寮の帰宅時間になり、走って帰る。待ち構えていた友達に、「どうだったよ?」なんて聞かれる。格好つけのおまえは、「ん? 秘密」と答える。デートのスケジュールはサッカー部のモテ男Cに相談したもので、知られていること以外、秘密なんてないくせに。
そして、寝る前に「今日の俺、どうだっただろ」なんて考えこんで、その夜は眠れないに違いない。
こんなもんだろ。話してくれなくてもいいよ、だいだいのことはわかるから。どうだ、母の想像力。
イラスト:北川原由貴
■室井 佑月(むろい ゆづき)
1970年、青森県生まれ。ミス栃木、レースクイーン、雑誌モデル、銀座の高級クラブでのホステスなど様々な職を経て、97年、「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」コンテストに入選。以降、「小説現代」「小説すばる」などに次々と作品を発表し本格的な文筆活動に入る。『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、『piss』(講談社)、『ドラゴンフライ』(集英社)、『ぷちすと』(中央公論新社)、『クルマ』(中公文庫)、『ぷちすとハイパー!』(中央公論新社)、『ママの神様』(講談社)などの長編・短編・掌編小説を多数刊行。一躍、人気作家への階段を駆け上がっていく。『ラブ ゴーゴー』(文春ネスコ)、『作家の花道』(集英社文庫)、『ああ?ん・あんあん』(マガジンハウス)、『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)などの痛快エッセイも好評を博す。現在、『ひるおび!』(TBS)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)などのテレビ番組にレギュラー出演中。
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- 5L編集部
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