2015年01月08日16時10分

にっぽん日和 北海道 厚沢部町

北海道 厚沢部町



カメラ/渡邊春信 ライター/岩熊純子 プロダクションマネージャー/池田大作 アシスタント/ 松田遥 スペシャルサンクス/厚沢部町



土橋自然観察教育林は約90ha の町有林です。「ヒノキアスナロは自生北限、トドマツは自生南限。この森は道南の植物の約8割が生息する、植物種が豊富な森なんです」と教育林コーディネーターの水本絵夢さん(右)。教育委員会学芸員の石井淳平さんは、考古学が専門。江戸時代からの森林の歴史について教えてくれました。


召しませ厚沢部
大地がくれた美味しいもの


 北海道の南部、渡島半島の日本海側に位置する厚沢部町は、古くから農業が盛んな土地です。中でも有名なのはメークイン。メークインはイギリス中部で最初に栽培が始まりました。名前の由来は、5月(May)の春の村祭りの際、村の中から一番器量の良い娘が女王(Queen)に選ばれることちなんだとされています。

 厚沢部町内にあった北海道庁桧山農事試作場で、はじめてメークインが試作されたのは1925年。他の品種と交わることのないよう、徹底した管理のもとに栽培されています。

 もう一つの特産品は耕地面積の約4分の1にあたる1000haで作付けされる豆です。中でも「晩生大粒光黒大豆」は、甘納豆や黒豆茶、炒り大豆、そしてお菓子など、さまざまに加工されています。

 「ピュアホワイト」や「ゴールドラッシュ」など、珍しい品種もあるトウモロコシは、年間1000tを超える収穫量。さらにこの土地の昼夜の寒暖差が激しい気候が、糖度の高いスイカ、メロン、かぼちゃを育みます。

 豊かにみのる農産物は、厚沢部町民の誇りです。芋焼酎を作るひと、黒豆を工夫してケーキを作るひと、そして郷土料理を継承していくひと。皆が口にするのは「日本全国のひとに厚沢部の美味しい自然を食べてほしい」という思いです。



農業に携わって5代目になるという外崎さん一家。奥さんの節子さん、中2の和美さん、小5の智文くん、小4の裕樹くん。「生産地のわかるジャガイモを食べたほうが安全で旨いよ。厚沢部町はメークイン1 本でいく」と話す明さんは、檜山南部食用馬鈴薯生産組合長を務めます。




ホカホカのメークインにバター、塩辛、マヨネーズを載せて食べるのが厚沢部風!




世界一大きなコロッケ作りに取り組んできた厚沢部商工会青年部。現在の記録は直径3.08m、重さ約500kg。「一時、三島市に直径2.1mの記録を破られましたが、1ヶ月とたたずに記録を奪還しました」と会長の能登谷大輔さん(右)。商工会の事務を務める秋元一秀さんもサポートし、町を盛り上げます。




「北海道で黄金千貫を原産とした焼酎を作りたい」その強い思いに突き動かされ、町の農家と協働し、苗の栽培から始まった本格焼酎「喜多里」作り。「平成14年に作付けを始めた頃は4千本くらい、今は120 万本を超える喜多里を製造しています」と札幌酒精工業株式会社 厚沢部工場 岩崎弘芳所長。




郷土料理を子どもたちや若いお母さんたちに伝えたいと、厚沢部町食生活改善協議会のメンバーたちが奮闘しています。「厳しい自然の中で農業を営む人々には、食品を保存して、美味しく食べる知恵があります」と、会長の石若雅子さん(左から2 番目)。




作っていただいたのは「ふきんこもち」。メークインをすりおろし、布巾で絞った「団子もち」と、ごぼう、にんじん、ねぎを入れた、農村地域の日常食です。




畑で育った新鮮な野菜を加工、販売する「東谷農園」。東谷弥生さんとお母さんの静子さんの2人で営む小さな農園です。フリーズドライしたにんじん、ごぼう、大根は水に戻すとちょっとしたおつまみに。無添加のジャムもあります。

厚沢部町字旭丘144-2





厚沢部町の名産、光黒大豆と北海道バターで黒豆ロールケーキができました。豆大福と黒豆プリンも好評です。素朴な甘さに癒やされるお菓子です。「くらや製菓」は店主の倉谷守男さん、奥さんの恵さんが営むお菓子屋さん。明日香ちゃんと友里香ちゃんもお手伝いします。

厚沢部町本町90-1




まちの文化を彩る開拓者たち寒さに負けず逞しく

 明治2年に新政府が「開拓使」を設置して以来、北海道には本州から多くの人々が移住しました。厚沢部町も同じく、「四代、五代前に東北から移住してきたと聞いています」「ウチは徳島です」などと、日本全国の地名が出てきます。

 厚沢部町では「ちょっと暮らし住宅」を建設し、賃貸民家を町外の人に紹介する「空き家バンク」の設置、新たに農業をはじめる人の補助など、さまざまな工夫をこらして移住を歓迎し、サポートを行っています。

 家賃月2万円で、廃校となった小中学校を借り、開窯した臼田季布さんは、2009年に沖縄から移住してきました。「ここは開拓者の土地のせいか、新しい人間が増えるのを喜んで、とても優しくしてくれるんです。棚を作った木材は、みんな近所の人が譲ってくれたものです」

 衣食住さまざまな場面で全国の文化が交じり合い、生活の活力とする町です。



臼田季布さんは山口県生まれ。沖縄の工房で12年間の修業をした後、奥さんの久子さんと共に厚沢部町に移住しました。「沖縄で作った器は口が開放的、厚沢部町で作る器は閉じているように思います。気候の影響かもしれません」沖縄生まれの愛犬タンゴの毛もふさふさになりました。

ソロソロ窯 厚沢部町字清水101-1





厚沢部で暮らす人々の暮らしが垣間見えるよー



「森藤旅館」は約130 年営業する厚沢部町の老舗旅館です。古くは江差からニシン漁に携わる人々を泊め、近年はビジネスで厚沢部町にやってくる長期滞在者が多いとのこと。「今年3月まで満室です」と女将の森藤俊子さん。嫁いでもなお旅館を手伝うのは娘の佐藤祐子さん。代々女性が切り盛りしてきた旅館。お父さんの実さんは長年、高校の社会の先生として勤めてきました。愛犬りん太はスイス原産のバーニーズ・マウンテン・ドッグという犬種です。

森藤旅館 厚沢部町本町2-1




昔懐かしい森藤旅館の朝ごはん。こんにゃく、タケノコ、蕗の煮物は郷土の味。ほどよい塩味の鮭が、新鮮な赤身なのは北海道ならでは。




カレーとコーヒーの店「カンペシーノ」のご主人、藤岡俊吾さんは東京生まれ。2012 年にオープンした店は、藤岡さんの手作りです。「店の中央にある階段は、閉校になった厚沢部高校から譲り受けました、同窓生が懐かしんでくれます」。ペットのヤギの名は「カンペ」と「シーノ」です。
カンペシーノ 厚沢部町鶉838





国道227 号線ぞいのバス停「厚沢部」。時刻表を見ると、ほぼ1時間に1本! 最終バスは午後6時台。逃すと大変なことに。




北海道を中心に展開している「セイコーマート」。たかがコンビニと侮るなかれ、北海道での人口カバー率は99.5%。お米だって売っています。「セコマ」、「セイコマ」の愛称で親しまれています。




笹谷勝博さん(右)のしゃべりの腕前は関西級!? 底抜けに明るく温かい副町長です。総務政策課の中里知弘さんに今回取材の案内をして頂きました。「北海道の冬は厳しい? ここで生まれたので厳しいと思ったことはないです」。


JALでいく



羽田からJALに乗ること80分、函館空港に着いて西へ60km 走ると目的地の厚沢部町に着く。アイヌ語に由来するというこの町名、メークインの産地として知られるが、近年は「世界一素敵な過疎の町」を合言葉に町づくりに励んでいることでも注目されている。私も5年前、この地で車の免許を取ったこともあって縁が出来たのだが、訪ねるたびまるで故郷に帰ったような懐かしさを感じさせてくれる。廃藩置県の頃、青森県に属していたこともあって津軽弁交じりの方言がなんとも心地よい。外気は冷たいが人の心は温かい。外崎さん宅でご馳走になったほかほかのメークインと塩辛、美味しかった。また食べにいきたいなあ。
木村政雄


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